休日のこの二日間の、昨日は吹奏楽部の練習で一日を終え、今日は、大学進学のための特別講義に参加する娘と、娘の友人を乗せて、車で1時間ほどの会場へ向かう。
書架にあった「音楽のつつましい願い」(中沢新一 著、山本容子 絵)を読み始める。
11名の作曲家(ショーソン、、ボロディン、ハチャトゥリアン、山田耕筰、ヤナーチェク、ディーリアス、フォーレ、チャベス、チュルリョーニス、ヴォルフ)をめぐる11の物語。
読み通すことができそうなので、読中の気分転換のために写真集も数冊選んで机に置く。
そのうちの一冊が「センチメンタルな旅・冬の旅」(荒木経惟)。
1990年に42才でこの世を去った妻、陽子さんとの20年ほど昔の新婚旅行での写真と、その陽子さんが、不治の病とわかったころからその死後までの半年間に荒木が見た風景を撮影した写真によるもの。
10年以上前のこと、所用の帰りに立ち寄った今回とは別の市の図書館でこの写真集を初めて見た日に、帰宅すると、妻の元同僚で、我々と同じ頃に結婚した女性が夫と3人の子どもを残して交通事故死したと妻が言った。
そんなことを思い出す。
「音楽のつつましい願い」に読み疲れると「センチメンタルな旅・冬の旅」をめくる。
荒木が、妻の容態急変の知らせを受けて病院へ向かうまでに写した何枚かの風景写真に目頭が熱くなり、「音楽のつつましい願い」に慌てて戻る。
(病院へと電車に乗るために自宅から向かった駅の写真に「豪徳寺」の文字を見つける。その駅は、私が学生時代に4年間暮らした下宿から歩いて5分ばかりのところ)
昼前に「音楽のつつましい願い」を読み終え、帰宅。
昼寝をし、ギターの練習をしてから、職場へ行く。
夕方帰宅すると、一日出かけていた妻も帰ってくる。
娘は、友人の親御さんの運転する車ですでに帰宅している。
部屋に入り今日のブログを書き始める。
床に置いたままにしていたギターケースが黒い棺おけのように見える。
途中、夕食を食べ、再びパソコンに向かう。
ここまで書いたところで、妻が部屋にやって来て言う。
「Oさんが死んだと、広報無線でさっき言ったよ」
近くに住む58才のOさんの、やはり近所に住んでいたOさんの兄は昨年この世を去った。
そのOさんの兄の妻は、10年以上前に、急死した。
あるロシアの作曲家は、学者でもあるために研究に追われ、さらに女性の地位向上のための活動にも多くの時間を捧げていた。そのことに対して、同じくロシアの作曲家であるショスタコーヴィチはこう言った。
「ロシアの作曲家はそのようにして、作曲をするのです」
偉大なる創造さえも人の生のその一部に過ぎない。
そして人の生というものは、すべてがそのようなものなのである。
(「音楽のつつましい願い」にはそんなことが書いてあったのだと思います)