bunbunの記

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違う何か

 

昨日のお祭りで、私と同じテーブルに座ってわいわいやっていた小学生の男の子が(唐突に)私に言いました。

 

サッカーフットサル)は上手いの?」

 

私が最近行き始めたフットサルの教室には彼もいます。

 

「そんなに上手いことはないけど、そこそこかな?」

 

「始めたばかりなのにすごいね」

 

「小さいころ家の庭でボールを蹴ったりしてたからね」

 

教室で彼は上手くできなくて、よくふざけたりしています。

 

私は中学校ではバスケ部に入っていました。

 

とてもへなちょこの選手でした。

 

それは大人になってミニバスのクラブの低学年の指導をするようになっても同じでした。

 

中学生時代から30年が経ってもやっぱりシュートは嫌いでした。

 

ドリブルは好きなのですが、シュートを打つのは身体の動きに抵抗感があるようで嫌いでした。

 

しかし、最近ではそのシュートを打つことが好きです。

 

体が気持ちよく動き、けっこうよく入ります。

 

打っていると探求心が働くようで、いくらでもシュートを続けられます。

 

飽きることがありません。

 

今でも昨日の小学生の男の子の質問が印象深く心に残っています。

 

ふざけてばかりできちんと練習もしないようなのに、実は上手になりたいんだ、なんで上手にできないんだろうかと考えているんだ、と思いました。

 

私がバスケットのシュートが楽しくなったのは、古武術を知り、その稽古を自分なりにやったためだと思います。

 

稽古といってもそんなに大層なことをやったわけではありません。

 

努力の積み重ねだとも思いません。

 

ただ単に、古武術のなかに「これまでとは違う何か」を感じ、それを実行しているからなのだと思います。

 

変化の可能性はだれもが持っているはずです。

 

たとえばあのときの男の子の何気ないような問いのなかにもその可能性を感じます。

 

あの子にとっての「これまでとは違う何か」としての可能性を。