昔、出雲地方から石見地方のこちらの高校に赴任して、この地域の埋蔵文化財の調査に貢献した教師がいました。
やがてその教師の幼い娘は父親の転勤で出雲地方に帰り、そこで成長していきました。
そして入学した出雲地方の大学で知り合ったのがこの町の男性。
いまではかって暮らしたこの町で、その女性は暮らしています。
昔、この町にあった高原療養所(結核専門の病院)に勤務する医師である父親とともに、幼い日々の数年間をこの町で過ごした女性がいました。
やがてその女性は父親の転勤により県外へと引っ越していきました。
そして入学した関東の大学で知り合ったのがこの町の男性。
いまではかって暮らしたこの町で、その女性も暮らしています。
そしてわれわれ夫婦。
そんな劇的なことはございません。
生まれ育ったのは、おなじ盆地の東の端と西の端。
なんのご縁か知らねども一緒に暮らして早20年。
ところで女房の実家は養蜂業を営み、女房も10年ぐらい前から少しずつ父親についてやっています。
私も先では女房のお手伝いをすることになるのでしょう。
それはいいのですが、ひとつ気がかりなことがあります。
それは蜜蜂の箱の手入れをするときにゴム手袋をはずすことができるかということです。
手袋をしていると、手入れのために巣の木枠を取り出してもとに戻すときに、木枠と箱との間に手袋の指先の部分が挟まって、作業がスムーズに進まないのです。
何十回と同じ作業を繰り返すので、ちょっとしたことでも支障になることはないほうが良いのです。
女房は父親に「そんなもんつけてたら仕事にならん」と言われて手袋をするのをやめました。
もちろん刺されます。
身内ながら大した根性だと思います。
この辺ではそういうのを「意地が悪い」と言います。
「なんと意地がわりいのー」というように使います。
一応は、ほめ言葉で使われます。
「女房は手伝ってもらう程度なら別に手袋してても大丈夫よ」と言います。
でも、退職したりしてその時がきたら、なんとか頑張ってみたいと私は思っています。
さて、私は将来において手袋をはずすことができるのでしょうか?
あれ、なんの話だったのでしょう?
そうそう、縁からは逃れることができないという話でした。
だから、私は手袋をはずすしかない。
でも、痛いのいやだなあ・・・
(おそまつでした)