bunbunの記

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長距離走者の孤独

 

今日のタイトルに、深い意味はないんです。

 

ただ、この春に亡くなったイギリスの作家、アラン・シリトーの小説のこのタイトルが浮かんだんです。

 

長距離走者の孤独・・・

 

女房と行きました。

 

「第19回浜田−益田間駅伝競走大会(しおかぜ駅伝)」

 

第1回~3回ぐらいまでの大会は、私もわが町のチームのお世話係として参加しました。

 

そのころ、私は教育委員会勤務でしたから。

 

とにかく面倒でした。

 

駅伝って、えらく人手が必要なんです。

 

なんで、こんなに人の手が必要な競技なんてやるんだろう・・・。

あれから20年近くが経って、その大会で今日は息子が走りました。

 

息子が襷を渡す中継地に車を停めて、その先の峠の頂まで歩いて行って待っていました。

 

先頭のランナーが通り過ぎてからは、駅伝のために渋滞になった車(そのうちの多くはゴールへと向かう車です)が我々の前をゆっくりと通り過ぎて行きました。

 

「〇〇君、頑張って走ってますよ」

 

昨日、出発式で話をした若手町議会議員が、車の窓から歩道の我々に声をかけてくれました。

 

それから、ひとり、ふたりとランナーがやって来ては、通り過ぎて行きました。

 

(前の区間での順位は歩き出す前に聞いて知っていましたが、その順位よりもずいぶんと遅れて来るのではないかということが、親としての心配でもあるわけで・・・)

 

やがて、ほぼ襷を受けた順位でもって峠の坂道をぐんぐんと力強く走ってくる姿が見えて来ました(親にはそう見えるんです)。

 

そして、応援する我々の前を通り過ぎて行く息子を、私は思わず追って(女房を残して)走り出しました。

その、私が走り出す前だったのか、後だったのか、軽トラに乗ったおじさんが窓から私に声をかけました。

 

それは私の家の隣の家の私より年長のその家の甥っ子でした。

 

「〇〇、しっかり走ってるぞ」

 

一人息子を若くして失って、二十数年後に施設に入ることとなったその老夫婦の面倒を見ながら、時折その空家になった我が家の隣の家に泊まり込んでは、稲作などをしているそのおじさん。

 

この駅伝大会に参加している息子は、小さいときからそのおじさんにずいぶんとかわいがってもらっていました。

 

大会を終えて帰宅した息子が言うには、そのおじさんは軽トラを運転しながら、ずっと息子に声援を送っていたのだそうです。

・・・長距離走者の(だけどあんがい幸せな)孤独。