bunbunの記

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祖父

 

藤六、1900年生まれ。

 

私、1961年生まれ。

 

だから、私が生まれたときは、61歳。

 

小1で、68歳。

 

中1で、74歳。

 

高1で、77歳。

 

大学1年で、80歳・・・。


トウロクと言います。

 

私の祖父の名前です。

 

物心ついたときには、私は祖父母の部屋で寝ていました。

 

それは、私が2歳のときに妹が生まれたからなのだと思います。

 

私が小学校に入学して1ケ月も経たないうちに祖母が死にました。

 

それからは祖父と2人の部屋になりました。

 

私が小さいころまでは、家の前にある炭焼き小屋で祖父は木炭をつくっていました。

 

祖父が鉛筆で描く岬と海の向こうに聳える富士山の絵を真似て描きました。

 

薪とりをする祖父に着いて裏山に行って遊びました。

 

当然、一緒に話もしたんだろうと思います。

 

でも、話をした記憶はほとんどありません。

 

高校生になると私は離れの2階に1人で寝るようになりました。

 

1年と2年の冬には、同級生が私の部屋に下宿して、朝夕は家族とその同級生と一緒に食卓を囲みました。

 

当然、そこには祖父もいたはずです。

 

なんで、こんなことを書いているかというと、思い出される祖父の姿がやけに静かであることに気が付いたからなんです。

 

記憶のなかの祖父はなにも話しません。

 

常に黙っています。

 

黙って食卓で晩酌をしています。

 

祖父は93歳で死にました。

 

私が32歳のときです。

 

明け方近くに我が家の一室で、祖父のただ1人の妹や、私の伯母である祖父の娘たちと一緒に最期をみとりました。

それから数年たったある日のことです。

 

そのころ私は休日になると家の横手の荒れた藪をきれいにしていました。

 

密集して生える竹を切ったり、大きくなりかけた木を切ったりしました。

 

休日だけではなかなか捗らず、少し焦っていました。

 

焦った気持ちで木を切っていると、私の頭の上の方から祖父の声がしました。

 

声がしたように思いました。

 

「お前、木を切るときは、そんなにがいがいとやらずに、ゆっくりと落ち着いてやるもんだぞ」


ところで、祖父の葬式には祖父の孫(私のいとこ)たちも我が家にやって来ました。

 

葬式が終わって、お寺から家に帰ってから一杯やりながら、孫の会をやろうじゃないかという話で盛り上がりました。(いまだ実現はしてませんが)

 

孫って何人いるんだろうと数えてみることになりました。

 

「1、2、3・・・・・・16」

 

「なるほど、トウロクだからね。やっぱり16人だよね」