bunbunの記

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無題

 

なんでなのかはわかりませんが、書きうつしたくなりました。


(竹内敏晴「子どものからだとことば」より抜粋)


小学校で社会科を教えている女性教師ですが、ひじょうに優秀で熱心な先生だった。

その人が私のレッスンを受けにくるようになった。

ところがその人がでてゆくと、かならず、その遊びをこわしてしまう。なにさ、私にやらせろ、といった具合に、ナワをとっちゃうとか。けんかしてしまう。

いつもはたいへん積極的な人なんだけどもレッスンをやっていると、うしろのほうにかくれてしまって、なかなかでてこない。それを、なんとかかんとか言って、誘い出して、やってみる段になると必ず激しいつっかかりになる。

(あるとき)がっくりした様子を見ているうちに、ハッと気がついて、わかったよって私が言ったらしいんだ。

あんたはね、いつも一所懸命他人の世話ばかり焼いているから、裏側にね、もうぶっこわしたくてたまらない自分があるんだ、それがでてくるんだ。

すると、彼女がワーッと泣きだした。ほんとうにそうだと思ったらしい。

それから、彼女は、いろんなことが変わってきた。

ほんとうに子どもたちが喜んで、子どもたちが創造的になっているのかどうか。そういうことに気がついてきた。

自分が強引に夢中になっているのに、子どもたちがつきあってくれていただけじゃないか。それを勝手に、子どもたちは生き生きしていると自分が思い込んでただけじゃないか。

そういうことで、彼女自身、何が何だかわけがわからなくなった。

彼女の場合、エネルギーのある人だけにひどかった。1年半ぐらい、ほんとうに滅茶苦茶なんだよね。すさまじいことになった。

自分でもなにやっているかわからない。だけど学校へ行って一所懸命授業はする。

でも、あるとき、授業もとうとうできなくなった。子どもたちに、悪いけど、先生、今日はもう授業でけへん、といってあやまったまま教壇の上にぶっ倒れてしまった。

ところが、それでその年の終わりに、算数や国語の授業が大幅に遅れたかというと、そんなことはないわけですよ。

小学校4年くらいだったと思ったけど、中学1年になった時、その子たちのひとりが彼女のところへ手紙をよこして、わたしたちは苦しんでいる1人の人間を見ました、と書いてあったというんだな。

教師がそういう状態でいいと私は言っているんじゃない。

教師がひとりの人間として教室へ入っていって、大勢の子どもたちの前で、ほんとうに自分は話しかけることがあるかどうか考えたら、いったいそこに何人立っていられるか。

子どものほうでは何を受けとっているか、敏感な子どもだったら、そのことにどういうふうに反応するか、という問題。

そういう問題が、彼女がジタバタしている状態を通して、彼女といっしょに考えてゆくうちに、見えてきたんです。

夏休みの終わり頃だったかな、彼女がやってきて、竹内さん、私、9月から学校へ行きます、って言うんだな。学校へ行きますって言ったって、それまでだってずうっと行っていたんだよ。

彼女が言うには、やっと子どもたちとつきあえそうな気がしてきた。そう言えるようになった。