「なめらかな社会とその敵」(鈴木健)って、生命体のシステム(たとえば細胞の「膜」と「核」)からこの社会のシステム(たとえば「会」と「会長」)を検証してるんですけど、たしかに自分の周りには自分が所属する「膜」がたくさんありますし、ある年齢になるとその自分が所属するいくつもの「膜」のなかのそれぞれの「核」が身近に迫っても来るのです。
私がやっているクラブにおいての私は「核」ではあります。だけど、「核」である私の役割のほとんどすべてが「見守る」ということなのです。そして、クラブ自体は「膜」ではあるのですが、その「膜」の出入りは自由であり制限はまずありません。
私たちは今のクラブをやることによって、「核」をもつ「膜」ではあるけれど、ちょっと(あるいはずいぶん)異質なそれのモデルを作ろうとしているのかもしれません。
そして、さらにはそんな「膜」と「膜」とをゆるやかにつないでいく「網」を作り出していくことが、これからの大きな願いでもあるのです。