bunbunの記

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ウルトラマラソン(その3)/ウルトラマラソン(その2)

 

ウルトラマラソン(その3)

 

フルマラソンは1人でも走ることができるけれど、ウルトラマラソンは応援がなくては走り通すことができない』

 

今年の1月に松江市で行った「島根マラソン(参加者7名)」で知り合ったKさんは、マラソンの翌々日に私が送ったお礼のメールに対して、そのような言葉を返信してくれました。

 

スタートから20キロばかり走ったところで、道路わきに立って手を振るKさんが見えました。

 

車の後部には冷えた飲み物などが用意されていました。

 

それからも先回りした何箇所かで声援を送り、そして最後には時間制限でリタイアした私をゴール地点で待っていてくれました。

 

やはり「顔マラソン」に参加したメンバーで、この大会にも参加した(しかもこの2人は完走しました)、私の職場の後輩のI君も、私の隣町で働くYさんも、Kさんの応援に力をもらったと言っていました。

 

コースの中間の50キロ地点の給水所では、松江市内の自宅から数キロをランニングして応援に来たという、これも「顔マラソン」に参加したNさんが、Kさんと一緒に声援を送ってくれました。

 

何人かのランナーと走りながらそして歩きながら話をしました。

 

長い長い道のりです。

 

しかもコースの中頃にはすでに余裕がなくなっています。

 

ちょっとした会話が必要にもなってきます。

 

80キロの給水所(そして最後の関門でもあります)を過ぎたところで、道路わきに座り込みました。

 

「まだ間に合いますよ」と、座り込んでいる私に後から走ってきたランナーが言いました。

 

「足の裏が痛くって」と、私は答えました。

 

「みんな痛いんだから!」そのランナーはちょっと強い調子で言いながら走っていきました。

 

最近、聞いたような話だなあと思いました。

 

島根県隠岐の島の60代の男性が、富士山の周囲を160キロ走るレースに出て、途中の給水所で脚の痛みでリタイアしようかと考え、そのことをたまたま隣で休んでいたランナーに話したら、「みんなそれぞれ痛みをもっているんですから」と言われて思い直して結局完走することができたと、女房からテレビ番組での話を聞いていたのです。

 

「はい、了解しました!」

 

私はランナーに向かってそう言って、再び走り始めました。

 

そこからちょっと走ったところにKさんが立っていました。

 

「大丈夫?」

 

「やれるだけやってみます」

 

「そうか、歩かなければまだ間に合う。がんばれ!」

 

しかし、不思議と消えたように思った足の裏の痛みも、数キロまででした。

 

そして14時間の制限時間がやって来て、車に回収・・・

 

駅の待合と、宿泊地の出雲市へ向かう電車のなかで、出雲市発の夜行バス大阪に帰ると言うランナーと話をしました。

 

最初は、作業靴で走ったと話す私に「それはいかんわ」と言うような顔をしていた彼も、顔マラソンの話を面白がって聞いていました。

 

「顔マラソン」のブログをぜひ見てみるからと言う彼と、出雲駅で別れて駅前のホテルへ向かいました。

 

歩くのが辛いからとにかく近い店をとホテルで紹介してもらった食堂では、聞かれるままにマラソンのことを話しました。

 

店の奥のレジで支払いを済ませて店を出ようとする私に店の女将さんが拍手をしてくれました。(他の客がいるのに)

 

翌日は途中の江津市の駅で途中下車して昼食をとろうとしたのですが、他の地方の街と同様に駅前はとても寂れていて、100メートルばかり歩いてようやく食事ができる店を見つけました。

 

汽車が8分遅れたために食事ができる時間が少ないことを店主に告げました。田舎なので一便逃すと次は数時間後になってしまうのです。

 

ここでも問いかけられるままにマラソンの話をしました。

 

いそいで食べて支払いを済ませて店を出ようとするときに、店主がお祝い(?)にとガムをくれました。

 

そして、近道があるからと駅が見えるところまで送ってくれました。

 


ウルトラマラソン(その2)

 

昨夜、ツイッターに書いたものをここにまとめてコピペします。まあ、マニアックな話ですけど、でもランの世界も広くて深いのです。

 

親方寅さん100キロラン① 最初の坂を下ってるときに私より年配のおじさんが走りながら話しかけてきました。「いいもの履いてますね。走りも軽快だし」「ホームセンターで買った作業靴で地下足袋の靴底と同じなんですよ」「いやあ、いいもの見せてもらった」・・・と言う感じの走り始めだったんです。

 

親方寅さん100キロラン② 異変(?)を自覚したのは50キロの手前の下り坂でした。下り坂が走られないのです。

 

親方寅さん100キロラン③ 80キロ手前あたりで両足の裏の痛みを強く感じるようになり、90キロあたりでその痛みのために歩くことも儘ならぬ状態になりました。

 

親方寅さん100キロラン④ マラソンから2日たった今、脚や足の痛みはとくにありません(もちろん長距離走のあとのこわばりなどはあるけれど)。足の裏の痛みもレース後には特に感じなくなりました。

 

親方寅さん100キロラン⑤ 足の裏を見れば、今でも指の付け根から土踏まずまでのところが硬く腫れて厚さが増しているようです。踵の足裏のところもそう思って見れば少し厚みを増しているようにも見えます。

 

親方寅さん100キロラン⑥ コースの中盤あたりから下り坂を走り降りることができなくなったのも、その足の裏前部の腫れと関係があるのだろうと思います。

 

親方寅さん100キロラン⑦ 足の裏の前の方が腫れているということは着地する足の裏の場所的には(寅さんランとしては)悪くはないのだと思います。ただ、着地の質のようなものに課題があるのかと・・・

 

親方寅さん100キロラン⑧ もっと着地したときに足裏にかかる力を後ろへと逃していく必要があるのだと思います。まだまだもろに受けすぎているんだと思います。コースの最後の下り坂を下りきってゴールまであと30キロというところから走り始めたときに、そんな走りができたように思ったのですが・・・

 

親方寅さん100キロラン⑨ それが本当にそんな走りなのかどうかを確認するには、足裏のダメージがすでに大きすぎたのです。

 

親方寅さん100キロラン⑩ 以上、思いつくままに書いてみました。9月下旬に隣県の鳥取で100kmマラソンがあるという情報も得たことですし、それに向けて寅さん100キロランを極めて行こうと考えています。