bunbunの記

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身体はそんなでも、心は清々しく

 

7月20日(日)

 

となり町の、ピクニックラン桜江の21kmを走りました。

 

初めてマラソン大会というものに参加したのが一昨年のこの大会でした。

 

そして去年は、仕事の都合でエントリーはせず、だけど時間ができたので応援に駆けつけたこの大会でした。

 

さて、2年ぶりのスタート時の天気は、曇り時々晴れ。

 

路面もそんなに熱くはないだろうと、2年と半年ほど前に私をマラソンの世界に誘ったAさんと共に裸足でスタートをしました。

 

ところで、一昨年のこの大会を走った後に「ピクニックラン桜江」でネット検索をして見つけたのが、広島のOさんのブログでした。

 

初めてのこの大会を走っていたら、10kmを過ぎたあたりのコース沿いの民家の軒先で、熱中症かなにかで気分が悪くなったランナーを数人のランナーが介抱していました。

 

さらに私が加わる必要もなさそうだったので、他のランナーと共にその様子を横目で見ながら通り過ぎたのですが、検索で見つけたOさんのブログを読んで、介抱をしていたランナーの内の1人がOさんであったことを知ったのです。

 

(しかも、Oさんは救急車の到着を待った後に走りを再開して、結果は私よりも速かったということも・・・)

 

それから何度かブログ上でコメントのやり取りをOさんとしました。

 

そのOさんと初めて直に会ったのは、去年のこの大会でした。

 

コース終盤近くのエイド(給水所)で応援をしていたら、ブログでそのウェアの特徴などを知っていたOさんと、ランニングの世界への誘惑者であるAさんとがほぼ同時にやって来たので、その2人を一緒に撮影し、後日その写真を2人に送りました。

 

今年の大会では、Oさんは脚の故障で参加はせずに応援にだけ来るらしいということは、Oさんのブログで知っていたので、去年に1回会っただけのOさんに、走りながらでも気がつくことができました。

 

スタートから10kmほど走ったところで、沿道に立つOさんらしい人を見つけて声を掛けました。

 

ふと後ろを見ると、私に追いついたばかりのAさんがそこに居ました。

 

それだけのことなんですけど、2年続けて同じ3人がコースの途中で揃わなくっても・・・

 

・・・・・・・

 

路面が熱くなったら履物を履こうとAさんと話しながらスタートしました。

 

路面はそんなに熱いとは思わなかったんです。

 

でも10kmあたりから熱さと、そして足の裏の違和感を感じ始めてビーチサンダルを履きました。

 

私に追いついたAさんも途中からワラーチ(サンダル)を履いていました。

 

結果は2時間8分。

 

一昨年のこの大会が2時間20分。

 

裸足とビーサンで12分ほどタイムを縮めることができて、嬉しいというよりも、ほっとしたというのが正直なところでした。

 

人と違う(この場合はシューズを履かない)ことをするからには、それなりの結果をだすことが必要なのです。

 

そうでないと「単なる変わり者」で終わってしまうのですから。

 

ただ、両足の裏に大きな水ぶくれ(水疱)がいくつもできたのは、誤算でした。

 

火傷?

 

それはまずい・・・

 

7月21日(月)

 

朝、9時30分に交流センターに行きました。

 

今年度から始まった『やまんばの里プロジェクト(コミュニティ再生事業)』の最初の企画として、「やまんば伝説の洞窟をこの目で見てみよう」との呼びかけに(私を含めた)地元の人たちの16名が集まりました。

 

やまんば(山姥)は、全国的には怖いお婆さんなんだと思います。

 

夜の峠を越える馬子が、山姥に積荷の大根から連れていた馬まで全部食べられてしまうという、どこかの土地の昔話を子供のころに読んだこともあります。

 

でも、この土地の「やまんばさん」はちょっと違うのです。

 

この土地には、田植えをする早乙女のために用意した昼食が一人分だけ残ったのは、早乙女の一人が手伝いに山から降りてきた、やまんばさんだったから、とか、江戸時代の伝説的彫刻家の左甚五郎と、お宮の塔を建てるのと織った布で原山を覆うのがどちらが早くできるかと競争をした、などの昔話が伝わっています。

 

そんな、やまんばさんが住んでいた洞窟が、この土地で一番高い原山(はらやま)の山頂近くにあるので、そこを訪ねてみようという企画だったのです。

 

ところで、私は15年ばかり前に、1人でその洞窟を訪ねたことがあります。

 

登り口からしばらくは洞窟への標識がいくつもあったのですが、洞窟に近づいたと思われる辺りには目印になるものが何もなくて、そのときには結局見つけることが出来ずに、山頂まで登ってから下山しました。

 

肝心なところに標識などがなくて探しあぐねたのは今回も同じだったのですが、しかし人数が多く、そして、その場でスマホを見て、洞窟への探訪記が書かれたブログを検索して情報を得る者もいたりして、手分けをして探した結果、今回は無事に洞窟を発見することができたのでした。

 

(その様子は、私の写真ブログ「いわみ濡縁ブログ」に掲載しています)

 

7月22日(火)

 

出勤

 

7月23日(水)

 

出勤

 

帰宅

 

そして、このブログを書いています。

 

マラソンの翌日の山登りでは、一足ごとに足の裏の水疱のところが痛くて、どうなることかと心配しましたが、次の朝には(ある水疱はさらに大きくなっていましたが)痛みなどはなくなっていました。

 

その程度の負傷であったので、火傷までは行ってはないけど、路面の熱で水疱が出来たのかもしれません。

 

裸足で走らずに、最初からビーチサンダルを履くべきだったのかもしれないのですが、でも後悔はしていません。

 

あのときは、なによりも裸足で駆け出したかったのです。

 

今回のマラソン大会には、女房も10kmの部を走りました。

 

1ヶ月ぐらい前にエントリーをして張り切っていた女房だったのですが、大会が間近になって、走るのはやめた、と言いました。

 

大会に向けて練習する時間がなかったとかいろいろと理由はあったのですが、一番大きなことは、大会のちょうど一週間前に女房の友人が急死したことでした。

 

だから不参加もしょうがないなあ、と思っていたのですが、大会の前日に「10kmのウォーキングの部も一緒なんだから、ずっと歩いてもゴールできるんだから、出るだけ出てみたら?」と言うと「そうだね、じゃあ出てみようか」という事になったのです。

 

そして、大会が終わってから「出るように言ってもらってよかった」と女房は私に言いました。

 

10kmを走りとおしたこと(峠越えなどの上り坂は全部歩いたようですが)だけでなく、走っている間の他のランナーやお世話や応援をしてくださる地元の人たちとの関わりによって、すこし元気がでたと言いました。

 

ところで、やまんばさんの洞窟探訪の16名の内の4人は私も旧知の女性たちでした。

 

その4人のことを帰宅してから女房に話すと、彼女らはそれぞれなりに急死した女性と関わりのあった人たちだと女房は言いました。

 

そういえば、その内の2人が、今回の登山への参加について迷ったような話を集合場所でしていました。

 

今日、職場の庁舎内ランで、急死した女性と距離的にも一番近かった参加者のある女性が書いた、やまんばの洞窟探訪についてのコメントを読む機会がありました。

 

そのコメントは、こんな文面でした。

 

「(山行き)お疲れ様でした。私は山でまぶたの横を4ヶ所ほどブヨに噛まれて、お岩さんの様な顔になっています。そして、身体は油が切れたロボットの様です。でも、身体はそんなでも、心は何故だか清々しいのです」