”「みんなの学校」の本を読んだんだけど、この学校で行われてることって『学び合い』と同じなのよね。”(平成22年に『学び合い』の授業参観に一緒に行った某学童保育指導員)
”最近、西川純さんの本って、よく売れてるじゃない。アクティブ・ラーニングとかの。買おうかと思ってたら、教頭先生が持ってたから借りて読んだよ”(平成22年に『学び合い』の授業参観に一緒に行った某中学校教師)
”ご主人って退職して本格的に『学び合い』をやるのかと思ってた”(平成23年に『学び合い』の授業参観に一緒に行った某小学校教師)
そう言えば、この半月の間に3人から『学び合い』に関する言葉(『学び合い』とか西川純さんとか)を聞きました。
今日の昼食時に、町内の小学校での素話(ストーリーテリング)のボランティアを終えて帰宅した女房と話をしていて、改めてこんなことを思ったのです。
冒頭の最初の二つは私が直に聞いたのですが、三つ目の”ご主人って退職して本格的に『学び合い』をやるのかと思ってた”というのは、女房が今日行った小学校で聞いたものです。
それを女房に言った教師は(私の高校時代の同級生でもあるのです)、『学び合い』に関心を持っていました。
平成23年の夏、『学び合い』の会のチラシをもって地元小に行くと、私の高校時代の同級生でもある彼女はチラシを見るなり私に「これなのよね!」と言いました。
彼女は『学び合い』の本を読んだばかりで関心をもっているのだと言うのです。
そして数ヶ月後には、広島県の某小学校の『学び合い』の授業参観に一緒に行くことにもなったのですが、それから彼女は他校に異動になり、その後の様子も分からないままに歳月は過ぎて行ったのです。
ボランティアから帰ったばかりの女房と、これまで私がいろいろやってきたことは、あちらこちらで意外とある動きを生んでいるのかもしれないなあ、という話になりました。
女房は「そうよ、もっと自信をもっていいと思うよ」とも言いました。
私の同級生でもあるその教師が、女房にそれ以上のことを話したわけではないのですが、私と女房とでは、そんな話になったのです。
私はこれまで何年もいろいろなことをやってきたので(情報発信、授業参観計画、クラブ実践・・・)、劇的なことが発生すると思っていました。
『学び合い』始めました!
僕もです!
私もです!
まあ簡単に言えば、そんな感じの・・・
そんなことは(ほとんどまったく)起らなかったけど、でも、自分たちが知らないところで、いろいろなことが起っているのかもしれないし、これまでやってきたことがその一助になっているのかもしれないという話になったのです。
それは根拠のないことではあるのですが、なんだか実感を伴う話にもなりました。そしてそんなことに思いを巡らす中において、このたった半月の間に『学び合い』とか西川純さんとかの言葉を続いて耳にすることになったというのも、奇妙なことではあるなあと思ったのです。