義父のこととか、毎週ここに書いているクラブ以外のことでも書きたいことはいくつかあるのですが(1年前の東京旅行記も別ブログの「bunbun-hの日記」に書いて行きたいのだけど、それさえも東京駅の八重洲口を出たところで止まっています)、それを書く余裕がずっとなかったのです。
正月休みにはいろいろと書けるかもしれないけど、それも定かではないので、とりあえずはフェイスブックに書いたのをここに貼り付けておきます。
こんな1年でした。
農業も2年目なので、ささやかながらも規模拡大を図っていたところに、4月1日の義父の急逝があって、農業で頼りにしていた女房はそれからずっと義父の残した数十の蜂の巣箱の世話に追われることになったけど、農業は農業でやり始めたことは進めなくてはならず、それでもお互いにやり繰りして手伝いながら、なんとか一通りのことをやり遂げました。
女房は「自分の日記を見たら、葬式の翌日から巣箱の手入れを始めていた」と言います。そうしなければ蜂の活動に間に合わないと言うことなのです。待ったなし、だったのです。
休みも、ほとんどなかった。
でも、今年のこの経験はずいぶんと糧になっていると思います。
来年はもっと効率よく、上手にやります。