bunbunの記

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「社交」の場の可能性

 

12月20日(木) 高2:1人、高3:6人、計7人(男)

前略)個人と集団の中間にある「社交」の場の可能性だ。「人の豊かさは集団にはないのではないか。(後略)

・・・先日の新聞の文化欄の(文芸評論家 三浦雅士氏の新著「孤独の発明」についての)記事の一文なのですけど・・・

 

高校生たちはいつものバレーボール

 

クラブの時間の1時間30分が過ぎて高校生全員によるバレーボールのゲームが終わってからも、高3の1人の男の子は高2の男の子にトスを上げてもらいながら(「上げさせて」が正確かもしれないけど)さらに30分ほどスパイク練習を続けたので、自ずと私の1人でのバスケ練習も2時間に渡り・・・

 

・・・(クラブやってていつも思うのだけど)自分一人だけでは10分もやると飽きてしまうことでも、同じ場に他の誰かがいるだけで(いるだけではだめで、その他の誰かも活発な状態であることが必須なのです)(ちなみに、活発な状態ってじっとしていてもあり得ることだと思う)、2時間やっても飽きることなく続けられるという事実は、とても意味のあることなんだと思うのです。

 

それは(自分にはそのあたりのことを解説する能力はないのだけど)冒頭に引用した「社交の場の可能性」とつながることだとは思うのです。

 

(さて、明日もまた白ネギの出荷作業。でもその合間に集落営農的な相談ごとも進めていきます。「社交の場」としての集落営農の可能性もあるかもしれません。現実は困難だけど)