bunbunの記

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来るたびに上手になってる

 

6月20日(木) 高2:1人(男)、高3:8人(男)4人(女)、大人:1人(女)、計14人

「サーブがぜんぜん入らないのよ」

 

これは中学校でバレーボール部だった女房が、それからの何十年のうちに何度も見たという夢の話です。

 

同じ中学校で2学年上だった私はバスケットボール部員だったのですが、私の方のへなへな具合はここに書く気にもなりません。

 

そんな私がバスケットボールを再び始めたのは、あれから30年ほど後の、今から15年ほど前のことなのですが、その話はひとまず置いて、まずは今回のクラブのことを書きます。

 

高3の女子が4人来ました。寮生だと思われる1人は初めての参加。そして3人が地元の子で、そのうちの2人はこの間の冬の頃に1~2回一緒に来たことがあって、もう1人は小学校の中学年の頃以来の参加でした。地元の子だと思われる1人の男子も初参加です。

 

高3の男女はネットを張ってバレーボールの試合を始めました。女子の多くはバレーボール部員だったようで、素人の男子だけだった先週のクラブよりもバレーボールらしい試合が続いたのですが、それ以外でも歓声(男女)や奇声(男)が先週より多かったのは彼女たちの参加あってのことだったのでしょう。

 

(ちなみに、テスト期間に入ったということで今回はみんな早い時間に終えて帰宅しました)

 

大人の女性の参加もありました。高校を卒業して社会人2年目だという彼女は、このクラブは初めてでしたが、彼女が高校生の頃にはこの体育館で彼女のことは知っていました。

 

高3の弟を母親と一緒に迎えに来た彼女は、まずは1人でバスケのシュートをして、それから高3たちに混じってバレーの試合をしていたのですが、最初に私とこんな話もしました。

 

「土バスって、まだ人来てます?」

 

「それまで来てた高3たちがこの春に卒業してからはちょっと少ないよ」

 

「今度、たくさん誘って行きますね」

 

「土バス」というのは、地元でバスケに関する様々な取り組みを行っているHくんが毎週の土曜日に同じこの体育館で行っていたミニバス教室のことで、そこに当時10歳だった長男と一緒に通い始めたのが、私のバスケ再開の始まりだったのです。

 

そのミニバス教室は、それから後には中学生や高校生、そして大人までが参加して一緒に試合をする場に変わり、その延長として8年ほど前には中年隊というシニアのチームまでできて、長男の小学校卒業後もそのまま1人でミニバス教室に通っていた私は、それまでは考えたこともなかった(そして、中学生のときにはあり得なかった)バスケの試合に出るということにまでなったのです。

 

この日のクラブでも、バレーの様子を時折ながめながら私は1人でバスケ練習をしました。(高2の男の子も1人でバスケ練習をしていました)

 

中年隊の方はシニアチームとは言っても固定したメンバーがある訳ではなく(Hくんの呼びかけで大会に集まった者がその日のメンバーという感じです)、今では土曜日か日曜日のどちらかで行われるようになった「土バス」に集まった者で行う試合が唯一の練習なのですが、私にはさらにこのクラブの時間での個人練習があります。

 

小・中学生が参加していた頃とは違って、高校生だけの参加になったので見守っている必要も以前のようにはなくなり、そして1年ぐらい前から(今更ながら)ドリブルが上手になりたいと思い、クラブの時間に集中して練習をするようになりました。

 

先週の日曜日に、Hくんが数年前から年2回ぐらい開催しているシニアバスケ大会がこの同じ体育館で行われました。

 

この大会には県内の近隣市町のチームだけでなく、隣県は広島市からも2チームぐらいが毎回参加しています。

 

私も中年隊のメンバーとしてずっと参加しています。

 

1試合目が終わった後に、この大会でいつも見るけれど話をしたことはない、広島市のチームで私と同年代ぐらいの男性が声を掛けてきました。

 

「(大会に)来るたびに上手になってる」

 

もちろん私のことです。

 

その一言を書き留めておきたくて長々とここまで書いてきました。

 

へなへななプレイヤーであることは昔も今もそんなに変わりません。

 

でも、Hくんが創っている「土バス」やシニア大会などの自由な空気の元で長年続けていることの結果として、そして子供たちがのびのびと活動しているその同じ空間で行う練習が実はとても効果的であることの証としても、もういい加減いい歳ではあるのだけど、まだまださらなる可能性を目指していけたらと願ってもいるのです。