新年度最初のクラブだった4月2日には、1年前に高校を卒業した町内外の子供たち(いや、もう大人たち)が7人もやって来た。
新年度2回目の4月9日には、高校生で常連の新3・2年生に加えて、入学式の当日だというのに町外県外からの入学生が3人もやって来た。
新年度3回目のはずだった4月16日からは、体育館の利用自粛要請によりおよそ1ヶ月半の中断となった。
5月29日(木)
高1:1人、高2:3人、高3:1人、大人:1人、計6人
クラブ再開。
やって来たのは、前回のブログにも登場した寮生で高3のTくんと、同じく寮生で4月9日にも来た県外からの入学生のMくん。
それから、いずれも高2で地元のYくんとWくんとSくん。
Yくんはこの1年ぐらいの間に数回、Wくんはこの5年ぐらいの間に何回か、そして「久しぶりです」と言いながら現れたSくんは小6のころの数ヶ月間だけ続けて参加していたという、初めてではないが常連でもないという感じの3人。
そして、今春、高校を卒業したばかりの地元のS’くん。
S’くんは県外に就職したのだけど、会社には行かずにこちらの実家でずっとその会社の研修をしていると言う。
高校の寮では過密を避けるために2班に分けて時間をずらして食事をしているとのことで、今日は早い時間の食事だという寮生のTくんとMくんは7時前には帰寮する。
高校を卒業したばかりのS’くんが現れたのは、寮生2人が帰った後のこと。
さらにその後の7時30分頃に、珍しい訪問者もあった。
体育館の前には左右に走る道路があるのだが、その道路から狭い駐車スペースをまっすぐ進み段差の少ない階段を上がって玄関に入ればすぐに体育館のフロアーにたどり着くような位置関係の施設なので、フロアーと玄関とを遮る鉄の扉を開けていればフロアーの入り口付近からは道路がよく見えるし、道路からも体育館の中の様子が少しは分かる。
たまたま入り口付近にいた私の姿が見えたのか、階段を上がって来たのはこの町の町長だった。
「もう13年になります。30人ぐらい来たこともあるけど、普段は10人ぐらいですね。自由参加なんで何人来るか分からないんです。始めた頃は小学生の親は自分と同世代に近かったけど、もう下手すりゃおじいさんの年ですからね。接点がないんです。でも、小学生とかは来なくなったけど、4年ぐらい前から高校生が来るようになったんです。寮生がけっこういるんですよ」
玄関で聞かれるままにそんな立ち話をする。
そして、最後はこんな会話の流れだっただろうか。
「ますますぶんちゃん(町長はプライベートでは私をそう呼ぶ)元気になるなあ」
「いや、来年もう還暦ですよ」
「(役場を)辞めたときは何歳だったっけ?」
「53歳の年が最後でした」
「Tくんも死んでしまったよ」
「Tさん体調悪かったりして早く退職したんですよね」
「もう10年ぐらいになるかなあ」
「あの頃からの病気で亡くなったんですか?」
「いや、去年発病してね。難病だったようだよ」
役場での先輩であったTさんの自宅は私の家から車で40分近くもかかる場所にあって、退職後のTさんを見ることはなかったのだけど、最近体の具合がよくないらしいということは知っていた。
前日に、各家庭に設置されている行政無線によるお悔やみの放送でTさんの訃報を聞いて、誰かにTさんのことを聞いてみようと思っていたところだった。
町長は体育館の前の道路を毎日歩いて自宅と役場とを通っている。
役場からの帰宅途中の町長を体育館に立ち寄ってみようとさせたのは、世界的な新型コロナウィルス感染拡大による先行き不安な情勢の影響なのか、あるいは配下の元職員の60代半ばでの逝去による気落ちがそうさせたのか、それとも単なるたまたまだったのか、それは分からない。
8時クラブ終了。
玄関で靴を履きながら、地元の高2たちや社会人のS’くんが「また来ようっと」とか「また来ます」とか言っている。
部活をしていないと言う高2のYくんとWくん(Sくんは不明)はともかく、来月から職場での仕事が始まるらしいS’くんに「また来る」機会があるのかどうかは分からない。
それは分からないけど、そう言ってもらえるクラブでさえあれば、それ以上のことは望むこともないと考えたりもする。