bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

「居る」ことによる存在の肯定

 

9月29日(木)

 

朝、こんな文章を読む。

 

『 居場所は自由に「居る」ことができ、「何かをしても何もしなくてもよい」といった特徴を持つことと、そこには日常とは異なる時間の流れやリズムがある 』(*)

 

夕方から、クラブB&J。 

 

2年近く前から参加者がほとんどなくなり、この春からはそれも皆無となったので、この日をもってクラブを終えるつもりだった。

 

ところが、残りもあと2回となった先週のクラブに9人の参加があって、終了を先延ばしにしたのは、前回のブログに書いたとおり。

 

今日のクラブは、参加者8名。

 

そのうちの1人は、前回の大学生とは別の大学1年生。彼もまた高校時代には何度かクラブに来てバドミントンをしていたことがある。

 

6人がバスケで、2人がバドミントン。

 

参加者たちは事情があって、それぞれ早めに帰宅した。

 

 

10月6日(木)

 

夕方からクラブB&J、だけど、参加者なし。

 

帰宅してから見た高校のウェブサイトによると前日に校内球技大会があったようで、高3のA.Oくんが前々回のクラブで「こんど球技大会があるから(練習のために)来たんじゃないの」と言ったとおり、この2週は練習のためであって、それが終わればクラブはもう用無しなのかもしれない・・・

 

『「居る」ことによる存在の肯定は、居場所が物理的にあり続けること、そこでの人間関係が継続することによって支えられています 』(*)

 

・・・誰も来ないかもしれないクラブをさらに3ヶ月後の12月末まではやろうと思っている。

 

 

(*) 8/29 朝日新聞: 明日へのLesson特別編 著者がとく 村上靖彦「交わらないリズム」×名古屋大学入試 )