bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

Kさん、すべてはみな、めぐりめぐっているよ

 

去年の9月14日に2人来て、それからまた自分一人の30分のクラブが続いていた。

 

9/21.28、10/5.12.19.26、11/2.9.16、12/14.21.28、1/4.11.18、2/1

 

ただ、11月2日には、自由活動の部活の日だと言う高校生たち10数人の男女が体育館を先客として使っていて、なぜだか誘われた自分が彼ら彼女らと一緒にバスケットボールのゲームを30分ばかりするということはあった。

 

 

2月8日(木) 

 

5ヶ月ぶりの参加者あり。9月14日と同じ2人。

 

元同級生のその2人のうち、大学生の方は春休みで、もう一人は県外に就職したのだけどコロナ禍の流れで実家での在宅勤務をしていると言う。

 

自分は7時30分まで1時間半の一人での練習。

 

 

2月14日(水)

 

夜、Kさん逝去を知る。(前回までのブログ)

 

Kさんとは10数年前、このクラブを始めた頃からの付き合いだった。

 

最初は、お互いのブログでのコメントのやりとり。

 

「外見上同じに見えても、何かを通して意識の変容があればその中身はまったく違うものってありますよね。見える人には見える。今年度もクラブの発展を期待しております。」(2009.4 Kさん)

 

「指導者(見る側)が線引きしているのですね。そうしてみていると、いつの間にか集団にも伝わり、本当に線(溝)ができてくる。年齢で、男女で…、bunbunさんの記憶の中で一つの集まりになっている子ども達は、子ども達の記憶の中でも学年を超えて一つになっているのでしょうね。」2009.5 Kさん)

 

その後、Kさんの暮らす高知県と縁ができて、高知市で3回、そして数年後には広島市で1度、実際に会ったりもした。そこにはいつも『学び合い』や(古)武術があった。

 

最後にKさんに会ってから、いつの間にか10年が過ぎている。

 

 

2月15日(木)

 

前回と同じ2人。

 

 

2月23日(木)

 

前回と同じ2人と高校生が4人。

 

知らない高校生たちだったけど、そのうちの1人は去年11月2日のクラブで一緒にバスケをしたときに見た記憶があった。4人ともに2年生で、2人が地元、2人が町外と県外からの寮生だと言う。

 

「クラブB&Jって、何の略なんですか? このクラブってどんな感じなんですか? 公民館で少しは教えてもらったんだけど」

 

「場と術の会の略なんだよ。でもそれじゃあ誰も来ないだろうからイニシャルとってね。もちろん常識の範囲だけどなにをやってもいいクラブでね。数年前の高校生はバレーボールしてたよ。もう15年ぐらいやってて最初は小中学生ばかりだったけど、やがて高校生が来るようになってね。でも、コロナのころからその高校生も来なくなって・・・」

 

1人の高校生の質問に答えていると、さらに別の高校生が近づいて来る。

 

どこかで見たような顔だと思って尋ねると、小学校低学年の頃の数年間、兄と一緒に参加していた子だった。

 

「やっぱりWくんか。ずいぶんと久しぶりだなあ。そうだ、Wくんに聞けばクラブのこと分かるよ」

 

 

2月25日(日)

 

夕方から日曜のバスケ。

 

集落の日帰り旅行で飲酒していたので、1kmほどの道を歩いて行くことにする。

 

途中、ウォーキング中の親子に出会い、一緒に歩く。

 

(体育館の前で、小学生の頃クラブに来ていて今では大学3年になったOくんが、親子の娘の方に向かって「Kちゃん?」と言ったのが、その後の訪問につながる)

 

体育館では、飲酒後なので自重してゲームには参加せず、自主練のみ。

 

それから体育館のすぐ近所の家へ。

 

そこはウォーキングをしていた親子の家で、ちょっとだけ確認したいことがあって訪ねたら、「まあ、上がって一杯やりんさいや」と言われ、夕食時のテーブルに座る。

 

この食卓に座るのは10年ぶりぐらい。あの頃は近くであった元旦恒例の集まりの後などに何度も立ち寄っていた。

 

「まだB&Jやっとるんで」と言うと、家族それぞれがそれぞれなりに「えー、そうなん」との反応。

 

自分がこの家とお近づきになったのは、お互いにミニバスクラブに所属する子の保護者だったことが切っ掛けで、それ以前に女房の親戚の家でもあった。

 

保護者だった自分は、同時にミニバスクラブに通い始め、1人で低学年男女の指導をすることになった。

 

そして指導の3年目が終わる頃に『学び合い』を知り、4年目には教えない指導を勝手に始めた。(その時の子供の1人が、この家の3女。当時小3だった彼女は今では地元で働いている)

 

次の年にはミニバスクラブを辞め、クラブB&Jを始める。

 

『学び合い』のブロググループでこのブログを始めたのも同時期で、上述のKさんを知ることにもなった。

 

新しく始めたクラブB&Jにはこの家の小学生だった3女、4女、そしてやがては中学生の次女も参加した。

 

その家の子供たちだけでなく、両親や祖父も何回か見学に来ているし、祖母に至っては納屋から持ち出したような長いロープを持参して子供たちと長縄跳びをしたこともあった。

 

そしてさらには、この家の子供たちの伯母は学校教師であって、『学び合い』にも関心があり、当時自分が企画した県内某小学校への授業参観に加わったりもした。

 

彼女は当時務めていた学校の学校だよりに、クラブB&Jについて書いたことがある。

 

クラブB&Jを始めた頃に、参加者が中学生1人という日があって、それでも彼と自分の2人は別々のコートで別々に3時間も練習を続けたということをこのブログに投稿した。(この日は何故かいつもの夕方からでなく昼過ぎからクラブを始めていた)

 

そのブログを読んで、彼女は学校だよりの文章を書き、その文章のことをさらに自分はブログにして投稿した。

 

(以下は、その投稿への彼女のコメント)

 

「3時間の練習の話は、私にとって衝撃でした。水泳部の生徒がひたむきに泳ぎ続けている姿を伝えたいと思ったとき、あのブログの記事が浮かびました。こちらこそ大切なことに気づかせてくださってありがとうございました。」(2009.6)

 

食卓でお酒を頂きながら、祖父母(途中退席)、両親、3女、伯母、と10年以上も昔のそんな思い出話をする。

 

 

2月29日(木)

 

前回と同じ2人に加えて、クラブは初めてと言う彼らの同級生の3人。

 

ここ何回か続けて来ている2人のうちの1人は自分の家の隣の子。(隣といっても田舎なので100mは離れている)

 

年の離れた彼の兄は中学生のころにはいつもクラブB&Jに来ていたが、弟の彼とはずっと縁がなかった。でも、高校卒業間近の去年の冬から長期休暇になるともう1人の友人と一緒に来るようになった。

 

そして、その年の離れた兄が、自分と2人で(別々に)3時間の練習を続けた中学生であった。

 

 

「Kさん、すべてはみな、めぐりめぐっているよ」