bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

4月5日(月)

 

4月5日(月) 晴れ

 

廃棄する農業用ビニール類を農協に運ぶ。

 

肥料袋、マルチ、古くなって取り外したビニールハウスのビニール・・・

 

農業のゴミは産業廃棄物になるので、大きな専用の袋に入れて指定された期日に農協に出している。(袋は手数料も入って1枚500円)

 

農協には知り合いの人がたまたま来ていて、職員に「蜂」と言うその人の声が聞こえた。

 

「農協を通して借りとるんですか?」

 

「いや買うんよ。貸してくれんけえ、大変なんで」 

 

「今年は無理だけど、来年ぐらいはしゃあない(大丈夫)かもしれんけえ、そんときには連絡します」

 

「よろしく頼みますよ」

 

その人が栽培をしているある果物の交配(受粉)のために、これまでずっと借りてもらっていた数箱の蜂を、去年と今年は蜂の状態が悪くて貸し出せなかった。

 

だから、やむを得ず農協を通して、ミツバチと同じような働きをするマルハナバチの箱を買っているのだと、その人は言う。

 

帰宅して、ネットで交配におけるミツバチとマルハナバチの働き具合の違いや、それぞれの買い取りとリースの価格などを調べた。

 

そんなときに、電話が掛かった。

 

「蜂蜜を買いたいのだけど、送ってもらうことはできますか」

 

「手渡しだけで、発送はしていないんです。どちらからですか」

 

「広島です。○○さんからもらった蜂蜜がお宅の物だったので」(蜂蜜の瓶に電話番号あり)

 

 「そうですか、○○さんですか。もし、こちらに来られることがあったら、お渡しすることもできますよ」

 

・・・

 

さて、今年も蜂が始まる。

 

 

 

 

 

 

4月3日(土)~4日(日)

 

4月3日(土) 晴れ

 

夕方から、バスケ。

 

中学生たちと大人たちとのゲーム。

 

2ゲーム目に1本だけ決まって、それから帰宅する。

 

夕食前に、一人で晩酌。

 

「さようなら50代、もう会うことはないだろう」

 

 

4月4日(日) 雨

 

午前、共同利用で更新したトラクターの操作方法を集落の人たちに説明する。

 

帰宅すると、県外で暮らす子供たちから還暦のお祝いが届いていた。

 

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      「日本各地の地酒を飲み比べ 厳選カップ酒セット」(全20本)

 

午後、インターネットで「小原流挿花オンライン特別講習会」を観る。

 

女房が受講料を払ったもので、自分も観てみた。

 

講師が解説をしながら、迷うことなく花を生けてゆく。

 

夕方から、バスケ。

 

中学生たちと大人たちとのゲーム。 

 

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 週末のバスケの主宰者であるHくんがフェイスブックに投稿した写真を載せておく。

 

 

 

4月1日(木)~2日(金)

4月1日(木) 晴れ

 

金融機関で養蜂産業振興会の年会費振り込みなど。

 

午後、新しく買い換えた、集落共同利用のトラクターの使い方を農協の担当者に習う。

 

夕方からクラブ、だけど誰も来ないので30分ほど1人で練習して帰宅。

 

4月2日(金)  晴れ

 

歯科受診とか。

 

・・・50代最後の日々が過ぎてゆく。

 

 

3月30日(火)~3月31日(水)

 

3月30日(火) 今日も黄砂がすごい

 

午前、ホームセンターへ。

 

作業用の手袋(各種)、作業用の麦わら帽子、作業用の靴下、作業用の長靴、農薬散布用のマスクとその交換フィルター、農薬散布のときに着る安物のヤッケ上下、塩ビの太いパイプ4mを2本・・・

 

 ・・・4mの塩ビの太いパイプは、ホームセンターの軒下で、ホームセンターで借りたノコギリを使って2.6mと1.4mに切断して軽トラックの荷台に載せる。

 

午後、圃場の排水パイプを取り替える。

 

数年前、間に合わせで数カ所に設置した雨樋に毛が生えたような薄くて直径が10cmもないパイプを、肉厚で直径が15cmほどのパイプに付け替える。

 

これで大雨のあとの労苦が軽減される、はず。

 

(水を溜めるように造成された水田での野菜栽培は、排水の具合がより重要)

 

 

3月31日(水) 黄砂晴れる

 

午前、午後、蜂の仕事。

 

夕方、本日付で定年退職のSさんに電話をする。

 

1歳上のSさんと自分とは、ある時期、担当業務が同じだった。

 

それは役場に就職した最初の年のことで、郡内各町村の担当者が結構な頻度で顔を合わせる業務だった。

 

翌年に自分は別のところに異動となって、Sさんに会う機会もなくなった。

 

それから20年が過ぎた今から15年ほど前にこの町と隣の町は合併して、Sさんとは同じ役場の職員になったのだけど、自分は合併の前後10年ほど公立病院に出向していたために、Sさんと同じ庁舎で働いたのは病院から役場に戻って早期退職するまでの数年のことで、その時には20代前半だった2人は50代になっていた。

 

電話では、退職のお祝いを伝え、Sさんの今の思いなどを聞き、同時にその間ずっと、いや、電話をする前もその後も、自分が大学を卒業して、郷里に戻り、町役場に就職したばかりの頃を回想していた。

 

 

3月27日(土)~29日(月)

 

3月27日(土) 晴のち曇

 

 

午後、蜂の仕事。

 

夕方からバスケ。参加者が少ないので、それぞれの自主練のみ。

 

 

3月28日(日) 雨のち曇、春の嵐

 

 

夜中から明け方まで、強烈な風が吹き続く。

 

夕方からバスケ。中学生たちと20代たちと40~50代たちの混合でゲームをする。

 

次の日曜日から、新たに「60代」が加わることになる。(自分)

 

 

3月29日(月) 晴、ものすごい黄砂

 

 

午前、退職祝いを元職場である役場へ持って行く。1歳上の先輩たちが定年退職となる。

 

午後、交配のための蜂の準備をする。

 

以前は、桃の栽培に1箱、サクランボの栽培に6箱をそれぞれ貸し出していたけど、箱(蜂群)が減ってしまったので、去年からはサクランボは断り、桃の栽培だけに貸している。

 

夕方、箱を渡す。

 

これからの10日間あまり、あの蜂たちは桃の木の下で働くことになる。

 

サクランボの農園で働いている様子

 

 

 

 

 

13年目の終わり

3月11日(木)

 

隣接する小学校の卒業式準備のため、体育館が使えない。

 

 

3月18日(木)

 

隣接する小学校の卒業式準備のため、体育館が使えない。

 

 

3月25日(木)

 

誰も来ない。

 

30分ほど1人で練習。

 

 

 

 

クラブ

 

2週間ほど前にMくんから電話があった。

 

「3月4日ってクラブやってますか? 仕事、休みとって早く行けるけど5時半からじゃだめですか?」

 

「いいよ。行けるのは5時半ちょうどになるかもしれないけど・・・」

 

 

今から5年前、クラブを始めて9年目のときに、高校1年のMくんたちがクラブに来るようになった。高校生の複数人での参加はこの学年が初めてで、Mくんたちの1級下の学年も上級生に誘われるようにして何人も来るようになって、その反面、小中学生の参加はなくなってやがては高校生だけのクラブになったのだけど、その高校生の参加もMくんたちの1級下の学年を最後にぐんと減っている。

 

【1回あたりの平均参加者数】

 

2014(07年目):小11 中2.0 高1.0

2015(08年目):小4.0 中5.0 高1.0

2016(09年目):小3.0 中6.0 高4.0 (高1:4.0 高2:0.0 高3:0.1)

2017(10年目):小1.0 中3.0 高4.0 (高1:1.0 高2:4.0 高3:0.1)

2018(11年目):小0.1 中0.1 高8.0 (高1:0.5 高2:3.0 高3:4.0

2019(12年目):小0.1 中0.1 高7.0 (高1:0.5 高2:1.5 高3:5.0 

2020(13年目):小0.1 中0.1 高5.0 (高1:0.2 高2:2.0 高3:3.0 大人:1.5

 

そのような状況で迎えたクラブ13年目のこの1年について振り返ってみる。

 

(参加者については、この2年間に高校を卒業した者のみ記載)

 

4月2日  7人(地元5人、元寮生2人)

 

・・・1年前に卒業したMくんたちが1年ぶりに突然やって来た。

 

4月16日~5月21日(木曜6回) 非常事態宣言下にて体育館使えず

 

6月11日 6人(地元)

6月18日 6人(地元)

 

・・・地元で就職した者たちと、コロナ禍におけるリモート授業で実家にいる者たち

 

6月25日 2人(地元)

7月2日  2人(地元)

 

・・・地元就職者と帰省中の学生

 

7月30日 4人(地元)

 

・・・地元就職者と帰省中の学生

 

8月6日~9月10日(木曜6回) 体育館の改修工事にて体育館使えず

 

・・・予定の工事だけど、よりによってこんな年に行うことにならなくてもよいのに。

 

9月24日 8人(地元6人、元寮生2人)

 

・・・1年前に卒業したMくんたち。今回は突然ではなく事前に打診あり。

 

1月7日~2月25日(木曜8回) 誰も来ない

 

・・・

 

3月4日 11人(地元7人、元寮生4人)

 

・・・

 

13年目にして、いろいろな面でかってないクラブの1年ではあった。

 

コロナ禍、工事、誰も来ない日々、と、こんなことが続いたこともなかったのだけど、高校を卒業した者たちがこんなにクラブにやって来るということもなかった。

 

小学校低学年のころから小学校を卒業するまで、同級生たち10数人でクラブに来ていた子供たち(【1回あたりの平均参加者数】2014)が、この春、高校を卒業するとうことも、自分にとってはある節目を思う。

 

そして、私は来月には還暦を迎える。

 

文章がまとまらない。いや、もうまとめない。

 

3月4日、当日にやって来たのは、元寮生4人と地元の7人。

 

(1級下のIくんは、1年生のときからいつも上級生のなかで1人混じってバレーボールをしていた)

 

彼らは5時半から8時半までの3時間、昔のようにバレーボールを続けたので、私もその間ずっと昔のように1人でバスケットボールの練習を続けた。