午後から女房と県境を越えて隣町の図書館に行きました。
ここは田舎の図書館でありながら、私も女房もそして息子にとっても、「これこそ自分が求めていたものだ」というものが予期せずも手に入るとてもお気に入りの場所なのです。
そして今日、最近ここではもっぱら洋楽のCDと漫画ばかりを借りている私の目に飛び込んできたのは、内田樹さんの「健全な肉体に狂気は宿る(春日武彦さんとの対談)」と「日本辺境論」でした。
帰宅してさっそく「健全な肉体に狂気は宿る」を読み始めました。
”「子どもにこうなってもらいたい」というかなり明確なイメージがあって、そのイメージとなじまないような子供からのシグナルには反応しない。自分が聞きたくないメッセージを子どもが発しても耳を塞いでしまう。・・・でも、そんなふうに求められている部分に合致するところは受け入れられるけれど、それ以外は無視されるという育て方をすると、子どものある種のコミュニケーション能力を深く損なってしまうように思うのです。”(「健全な肉体に狂気は宿る」より。一部省略等しました)
いきなり、う~んと唸りました。
(さて話は行ったり来たりします)
図書館で本とCDを借りた後、図書館からさらに車を走らせて大型スーパーに行きました。(昨日痛めた腰はずいぶんとよくなったのですが、用心して女房に運転してもらいました)
目的は女房の知り合いの女性の初めての個展でした。
その個展はスーパーの2階の展示室で行われていました。
なかなかセンスの良い絵が並んでいました。
会場にいた女房の知り合いである絵の作者に挨拶をして、記名帳に記帳しました。
行ってよかったです。
これからも、ご縁に対しては、労を惜しまずに出かけて行こうと思います。
”そういう行き止まり状況を打開して、そこから脱出するための手がかりというのは、実は自分の中にしかないんです。自分の中にあるほんとうに個性的な部分、誰にも共有されない部分、誰にもまだ承認されていないような傾向、そういうものしか最終的には足場には使えないとぼくは思うんです。”(「健全な肉体に狂気は宿る」より)
そのことによってこそ、その「足場」が生きてくるはずですから。