bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

クラブ効果

 

6月10日(木) 

 

高校総体が終わって、ちょっと期待したけど参加者なし。

 

 

6月17日(木)  

 

卒業生たちが来た3月の1回を除いて、実に半年ぶりの参加だった。

 

高1:2人、高2:1人、高3:5人、計8人

 

来るとしたら地元の子と寮生とが半々ぐらいかと思っていたけど、予想とは違って全員が地元の子。

 

その中でここに特筆しておくのは、数年ぶりに現れた、高1のOくんと、高2のO’くんと、高3のAくんのこと。

 

その3人は小学校の低学年から中学生になった初めの頃までずっとクラブに来ていた子たち。

 

「おっちゃん、ひさしぶり」

 

 

 

8時まで何人か残っていたので、自分も2時間ずっと1人でバスケの練習をする。

 

この数週間、なんとなく体調がおかしくて、この日も誰も来なくて早く帰るのもよいと思っていたのだけど、昔と同じように普通に2時間を過ごすことができた。 

 

そればかりでなく、次の日もあのなんとなくの不調感がない。

 

それは、自覚症状だけでなく他覚症状(状態)としてもあって、クラブの2、3日後のこと、女房に肩や背中をマッサージしてもらったところ「数日前に(マッサージをしたときに) 比べて、柔らかくなってる。前はひどかった」と言う。

 

それらは、実証のしようがないものだけど、自分としてはクラブの効果だと思っている。

 

 

 

 

 

6月18日(金)~21日(月)

 

6月18日(金) 一日雨

 

雑用と雑用

 

昨日までの数週間に比べて、ずいぶん体調がよい(クラブ効果?)

 

 

6月19日(土) けっこう降った雨のあとは晴れ

 

マッサージで良好の判定(判定者、女房)(クラブ効果?)

 

ポリタスTVで、平田オリザ津田大介の対談を聴く。(日本の「文化芸術」の問題と文化政策の可能性に係るお話)

 

田の肥料散布、ネギの農薬散布

 

 

6月20日(日)  晴

 

一日、蜂の仕事

 

夕方から、バスケ

 

 

6月21日(月) 晴

 

田んぼの作溝(水を抜いた田に入って、器具を押しながら溝をつくる作業)(教科書にはあるけど、まず誰もやらない作業)

 

白ネギの農薬(病害虫の3つの農薬を、それぞれ手で摘まんで筋蒔きする作業を1時間)

 

 

・・・ということで、つかれたけど、体調はまあまあよい。

 

 

 

 

6月15日(火)~17日(木)

 

6月15日(火) 曇り

 

午前、蜂の仕事。

 

最初の採蜜のあとからなので、もう半月ばかり左肘の具合が悪い。

 

襟のあたりをつかんで上着を脱ぐときのように、つまんだ腕を動かすとき鈍い痛みがある。

 

採蜜では、蜂蜜で重くなった巣枠の端を左手でつまんで持って、両面に群がっている蜂を刷毛で払い落とすのだけど、その作業で痛めたのだろう。

 

痛めた腕で作業すると、蜂の仕事は巣枠(重い)を両手でつまむ作業がとても多いことに気がつく。

 

 

6月16日(水) 雨のち曇

 

午前、女房と昨日と同じ蜂場へ行く。

 

昨日、熊よけで張っている電柵の支柱が倒れていて補修したのだけど、熊が倒したことも考えられて、再びの(もっと大きな)被害を心配して確認に行ったのだけど、何事もなくて安心する。

 

 

6月17日(木) 曇

 

蜂の仕事。13:00帰宅。

 

14:00近くの公民館での特定健診へ。

 

診察は2人の医師が担当して、その診察のための間仕切りのカーテンに下げてある医師の名前の一方を見て(その名字が珍しいこともあって)もしかしてあの人かもと思い、そして、どちらの医師になるのかと思いながら順番を待っていた。

 

(健診票の自分の名前を見て)「もしかして、フェイスブックの○○さん?」

 

「ええ、すみません、(フェイスブックの友達の)申請もらってたけど、(フェイスブックの友達を)あんまり増やすのもいやで・・・」

 

「いえいえ」

 

かって、この地域の調査研究にも関わっている大学医学部教授として名前だけは知っていて、ずいぶん前になぜだかフェイスブックの友達申請を受けていたことも覚えていたのだけど、あんなところで声をかけられることになって驚いた。

 

(この日の健診も終わり間近でもあって余裕もあったのか、少々世間話もする)

 

健診から帰宅して、遅い昼食。

 

夕方からクラブ。

 

半年ぶりの(3月の高校卒業生たちが来た日を除く)参加があり。 

 

 

6月12日(土)~14日(月)

 

6月12日(土) 曇り時々雨

 

更新が間近になった生命保険の、その外交員が来訪する。

 

昨日は年金(JA)で、今日は生命保険。

 

おまけに、某金融機関がお客様向けにつくった「公的年金セミナー」の動画をインターネットで観たりもする、そんな今日この頃。

 

 

6月13日(日) 雨時々曇という感じ

 

朝、犬の散歩で、途切れなく続く自転車の群れに遭遇する。

 

(川下の学校から上流にある野球場への移動であろう)

 

「これ全部、野球部?」

 

「はい、そうです」

 

最後尾あたりにも聞いてみる。

 

「すごいね、何人ぐらいいるの?」

 

「えーっと、70人です」

 

帰宅して地元高校のウェブサイトで確認する。

 

生徒257名中、野球部員71人。

 

(男女数は分からなかったけど、男子2人に1人が野球部員という?)

 

・・・ちなみに、他の運動部は、バドミントン部22人、女子バレーボール部14人、

女子バスケット部14人、陸上部12人、男子バスケット部10人、

剣道部10人、ソフトテニス部9人、卓球部7人

 

・・・ついでに、文化部は、吹奏楽部33人、美術部11人、文芸部8人、

写真部5人、茶華道部3人

 

 

夕方、地元のスーパーマーケットで開催されている県選抜高校美術展を観に行く。

 

展示されているのは、とても大きなキャンバスに描かれた絵が15点。

 

(最初の絵を見たときから胸が熱くなるようだった)

 

それからその足で、バスケをしに体育館に行き、いつも来ている2年前に卒業した元野球部員のSくんに問う。

 

「君らは何人ぐらいだったの?」

 

「えーっと、35人ぐらいです」

 

「じゃあ、今が特別多いんだね」

 

「ええ、そうです」

 

(いつものように2ゲームやって早退。頑張ったけど、いっぱいシュートはずす)

 

 

6月14日(月) 曇り時々しつこい雨

 

 

午前、白ネギの現地講習会。

 

「この圃場にもアザミウマの被害が見受けられます。その辺にあるクローバー(シロツメクサ)の花を摘んで、それを紙の上でとんとんと叩いてみてください。アザミウマが出てくると思います」

 

農協の指導員が言うとおりにやると、写真で見るだけでその実際の姿を知らぬまま農薬による防除をしていた1mmほどの小さな虫が紙の上に現れる。

 

午後、ひょんなことからまた近所のスーパーマーケットへ。

 

もう一度絵を観ようと展示会の場所に行くと、10人ぐらいの高校生男女が絵の前に集まって、そのうちの1人が絵についての感想を話し、その後に教師と思われる男性が講評するというようなことが行われていた。

 

「これで鑑賞会は終わります。では、これから絵の片付けをやってもらいます」

 

面白そうなので近くで聞こうと思ったけど、自分が出くわしたのは最後の絵のときだった。

 

「美術部の部活ですか?」

 

教師と思われる男性に聞く。

 

「美術の授業なんです。せっかくの展示なんで鑑賞会やろうと思って。1年の選択授業なんです。野球部員なんかもいるんですよ」(聞いてないのにここでなぜか野球部)

 

「71人ですね」

 

「今年は甲子園、行きますから楽しみにしてください。もう行くことにしちゃってるんですけど」

 

  

 

 

 

6月10日(木)~11日(金)

6月10日(木) とても暑い

 

午前、農協で広島菜栽培講習会。

 

出荷契約会社である(株)山豊の社員が話すには、戻りつつあった売り上げも、今回の非常事態宣言でまた下がったとのこと。

 

午後、養蜂の業務量の計画をつくる。

 

これからは、労力的に管理できる群数(箱数)と、労力的に商品にして販売できる採蜜量を考えながら仕事ができる。(これまでは、そんなことを考える余裕と経験がなかった)

 

夕方からクラブなのだけど、相変わらず誰も来ない。

 

まあこれも非常時だからしようがない。(とする)

  

 

6月11日(金) 曇のち小雨

 

 

今年から年金をやるから手続きせよとのハガキが届いたので農協へ行く。 

 

 「まだ書類が届いてなくて。こちらから電話してお伺いします」

 

帰宅して間なしに電話。

 

「書類が届きました。3時過ぎにお伺いします」

 

午後5時過ぎ。

 

「○○ですが・・・」

 

「あ、大変申し訳ありません。今から伺ってもいいですか」

 

その電話の最後の言葉を聞いて、ちょっとほっこりとした。まさしく正直は最善の策である。

 

「すみません、忘れてました・・・」

 

 

前田新維

 

40分ばかりの道のりを軽トラでやって来て、こんにちは、とよく通る声で我が家に立ち寄るいつもの光景が途絶えてから7年の歳月が流れた。

 

前田新維(まえだ よしただ) 1947(?)-2014.1 島根県江津市

 

我が家の親戚でもある隣の家に、いつの頃からか叔父・叔母の面倒や稲作の仕事にと前田は足繁く通うようになった。 

 

それからの10数年の間に、本人から話を聞くこともあって現役の優秀な水泳選手であることを知ってはいたが、その実際を具体的に目にしたのは、急逝の後にネットで検索したいくつかの大会記録や知人によるブログ、そして地方紙に掲載された追悼の記事だった。

 

先日、ふと前田のことを思い、久しぶりにその名前でネットを検索した。

 

改めて思ったのは享年67歳ということ。

 

あのとき52歳だった自分も60歳になり、遠く感じられた前田の年齢も近いものになった。

 

 ・・・

 

2012.10 かわらばん広報ごうつ  koho_10.indd (gotsu.lg.jp) より

 

競技としての水泳を始めたのは中学生から。専門的なコーチもいない中、プールでよくやったのが鬼ごっこ

 

高校では似たような環境の中で実力を伸ばし、インターハイ出場を果たす。

 

卒業後は大分県の実業団に入り、オリンピック出場経験もあるコーチの元で1日の半分を練習に費やす日々を過ごすが、高校時代の自己記録を更新することはなかった。

 

「結局、水泳をやらされている状態で、自ら目標を持って泳ぐことができていなかったのだと思う」

 

大分での3年間を終えて帰郷し、高校時代と同様の指導者のいない状況になるが、すぐに100mで自己記録更新。

 

「このタイムで泳ごうと目標を持って練習に打ち込んだ。自発的な練習こそが、記録向上に必要だった」

 

(抜粋終わり) 

 

 

生前、前田に近しかった人はブログにこう書いている。 

 sutekion cafe (コメント欄にブログの主と自分とのやりとりあり) 

 

国体3度の優勝。

 

マスターズ日本新記録をいくつも樹立。

 

世界大会の準優勝。

 

この山陰の片田舎で自ら考案したメソッドで練習に取り組み、国体でオリンピックの銀メダリストと伝説的なバトルを繰り広げる。

 

年齢とともに体力が衰えていくはずなのに、毎年のようにタイムを更新していくことに誰もが驚愕!

 

 (抜粋終わり)

 

 

 

最後にネットから、過去の記録を拾ってみる。 

 

 

 

○ 第32回高知マスターズ水泳大会(2017)開催要項、より

  2016.9.25現在大会記録     00240_01_170412094459.pdf (masters-swim.or.jp)

 

・55~59歳の部

  100m平泳ぎ    前田新維 1:20.07 (第18回大会) (2003?)

  25m平泳ぎ   前田新維 15:66    (第19回大会) (2004?)

  50m平泳ぎ   前田新維 35:33    (第19回大会) (2004?)

・60~64歳の部

  25m平泳ぎ   前田新維 15:98    (第23回大会) (2008?)

  200m平泳ぎ 前田新維 3:02.76  (第24回大会) (2009?)

 

○ ブログ「水泳バカ一代 ロンドンへの道」(2008.5.16)、より

  62歳前田さん日本新記録!: 水泳バカ一代 ロンドンへの道 (seesaa.net) 

 

 ・日本マスターズ水泳短水路大会(2008.5.11 福岡市) 

 60~64歳 100m平泳ぎ 1:18.51 短水路日本新記録

 (同クラスの同種目で3年連続の日本新樹立)

 

 

 ○ 2012.10 かわらばん広報ごうつ 、より

 

・国体通算25回出場(30歳以上の部で3度優勝)

・60歳以上の100m平泳ぎ日本記録更新

 

 

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          (ネットで見つけたので借用しました)

 

 

6月8日(火)~9日(水)

 

6月8日(火) 晴れ 今期、家で初めて短パンをはく

 

 

午前、農作業いろいろ。(ケイトウの水やり、枝豆の間引き、草刈り・・・)

  

昨日までに続いて、合間にインターネットで「小原流挿花オンライン特別講習会」視聴。2回目の今回は、生け花の実演と、河野元昭静嘉堂文庫美術館長と小原流家元による小原流と関係の深い琳派についての対談。

 

午後、蜂の仕事。

 

自分がもっぱら担当する2箱のうちの、ずっとよい状態にならなかった1箱が正常な方向に動き始めた。

 

「待てなくてついつい余計な手を加えてしまうのに、やるべき時にはそのやるべきことができない」・・・これが養蜂を始めてから何年もうまく行かなかった時の状況だったと女房は言う。

 

虫の群れを扱うのだから、養蜂は難しくて面白い。

 

夜、いつもの犬の散歩。今年は蛍多し。

 

 

6月9日(水) 晴れ とても暑い

 

 

女房の実家の隣にある蜂場で採蜜の作業。

 

蜂場は実家と盆地下流域の谷間との2ヶ所あって、谷間の方が条件がよいので採蜜はそこだけでやるのだが、今年は実家の蜂場の方が蜜が多く貯まっていたので採蜜をすることにした。場所による花の蜜の具合が例年よりも違ったのだろうか。

 

今年の採蜜はこれで終わり。(蜂の仕事は初冬まで続く)

 

これまで2日、谷間で採蜜をして不調だったのだけど、実家の方がまずまずだったので女房も安心していた。(とはいえ全体では予定量の半分も満たないので、今年もまた収入が・・・)