2月11日(木) 祝日、晴れ
ブログを書く(こちらのブログ)
夕方から、クラブ
2月12日(金) 晴れ
ブログを書く(クラブの方のブログ)
ジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなった。(享年79歳)
かって彼のLP(CDではない)を1枚持っていて、東京の下宿で聴いていたのは40年も昔のこと。
2月4日(木)
クラブ
30分ほど1人で練習して帰宅
2月10日(水)
2年前に高校を卒業したYくんからの電話
「来月の4日ってクラブやってますか? みんなで行こうと思って・・・」
2月11日(木)
クラブ
30分ほど1人で練習して帰宅
2月12日(金)
公民館で、主事(体育館の管理もしている)と話す
「今年に入ってからは誰も来なくて」「状況を伝えておこうと思って」「ほかに利用したい人があったら譲らないといけない状況だから」「13年もやったからもういいかなとも思うのだけど」「自分が続けたというよりも、子供たちが来続けたからここまでやることができたクラブだから」「自分だけで決めることではないと思っているし」「春になれば状況も変わるかもしれないし」「終わるとしても、様子を見ながらゆっくりと終わりたいと思っているから」
2月10日(水) 晴れ
9時発、10時着。
先週の3日間に続いて、第4回目となる特別集中講義。テーマは「農業機械」。これが最後の講義となる。
昼食は、先週に続いて今回の講義期間で3回目となるお店へ行く。
「マスターはずっとこの土地で暮らしてきたんですか?」
食後のコーヒーを飲みながら聞く。
「いや、若いときはちょっと出てましてね。3年ぐらい大阪にいて、それから東京に・・・」
「東京はどこでした?」
「世田谷です」
「え、世田谷のどのあたりですか?」
「世田谷通りの・・・」
「僕もその辺です。区役所のすぐそばです。世田谷駅の近くでした」
「ずいぶんと昔のことで、いたのも1年半だけだし、住所とか覚えてないんですよね。通勤なんかも車だったから近くの駅の名の記憶もないし。三軒茶屋から5kmぐらい行ったところだったかな」
「世田谷通り沿いですか?それともそこから入ったとこですか?」
「50mぐらいだったかなあ。踏切のすぐ横で、電車の音がうるさかったなあ。まあ、やがて慣れましたけどね」
・・・
帰宅してから地図で確認した。
赤いラインが電車の走る世田谷線。
緑のラインが世田谷通り。
右側の三軒茶屋から始まる2つのラインは、1km先では500mほど離れて、さらに1km進んだ三軒茶屋からは2km先になるところで一緒になり、そこからはそれぞれ反対の方向へと大きく離れて行く。
マスターは「世田谷通りから50mぐらい入ったところの踏切の近く」と言うのだから、その2kmの内であることは間違いない。
(あの間が2kmしかないことは自分も意外だった)
そして、「三軒茶屋から5kmぐらい行ったところだったか」とのことなので、その距離感覚からすると、いったん離れた2つのラインがぐんと接近する辺りと推測されるのだが、その辺りは自分が大学時代の4年間を過ごしたところである訳で・・・
元職場で隣の席だった後輩の、母親の実家が世田谷の自分の下宿のすぐ近くであって、関東で暮らしていた子供時代には何度もその家に行ったことがあるということを知ったこと。
大学にある資料館の受付にいた女性が隣町である川本町の出身ということを知り、その後に歩いて世田谷の下宿へ向かい、近くの懐かしい文房具屋に入るとそこの老店主の知人にも川本町の人がいることを知った、という数年前の出来事。
新しいところでは、去年の春に、仕事の用事で我が家に来た役場の職員が大学生の4年間を暮らしていたのが、自分の下宿と20mほどの近さであることを知ったこと。
その3つの出来事は「同じ風景」というタイトルでブログに書いたのだけど、もう1つ、マラソンを通しての知人で隣県に住むある男性と話をしていて、その娘さんが自分の下宿からそう離れていない(ひとつめの後輩の母親の実家と同じ4丁目。自分の下宿は3丁目)ところに住んでいるということを知ったこともあった。
・・・
いつか、印刷した地図をマスターに見せて、懐かしい土地の話をまたしたいと思っている。
2月8日(月) ほとんど小雨
昨日の総会でトラクターの更新が了承されたので、諸々の手続きを行う。
農協での借り入れの申し込み。
役場での機械購入に対する補助金の申請と、資金借り入れに必要な証明書の交付申請。
ついでに、個人的な用事として、印影がひどいことになってしまった届出印(卒業記念か何かで高校からもらったものだったように思う三文判)を新しいものに変更するために、金融機関を何カ所か回ったりしたので、半日を要してしまう。
夜、近所のおばさん(親戚ではない)の逝去を知る。
これで6件目。
年が変わってからのこの1ヶ月間に、女房の大叔母、かっての職場の先輩2人、比較的近所に住むかっての職場の先輩の母親、今は亡き叔母の兄、そして、今回の近所のおばさんと不幸が続いている。
2月9日(火) 朝、うっすらと雪景色。天気は曇りから晴れへと変わる。
朝、近所のおばさんのお悔やみへ。
午後2時頃から1時間ほど、トラクター納品の立ち会いなど。
(これで年明けからの、地域の諸々の仕事がほぼ終わる)
夕方、近所のおばさんの通夜へ。
普通であれば参列するのだけど、コロナ禍なので帳場に香典を預けて、喪主に挨拶して、焼香をするだけ。
「兄弟しやら子供しやらは帰っとりんさるんですか」(ご兄弟や子供さんたちは帰っておられるんですか)
「いや、帰っとらんのよ。○○は東京だし、○○は大阪だし、○○は・・・」
喪主の弟や妹は自分と1~2歳しか違わず、50年もの昔に一緒に遊んだような記憶も懐かしくて聞いたのだけど、コロナ禍の現実を突きつけられて帰宅した。
2月6日(土) 晴れ
一日が過ぎても小説の世界が自分の片隅に居座り続けている。(恐るべし、桐野夏生)
夕方からバスケ。
参加者が少ないのでゲームはなくて、個別で練習。
2月7日(日) 晴一時雨のち曇
組合といっても、トラクター(2台)と乗用田植え機(1台)を共同利用するための少人数の集まりで、数年前からその代表をやっている。
耐用年数が過ぎているトラクター1台の更新については了承される。
構成員の一人から、病気になって耕作ができなくなったので脱退したい、との申し出あり。
10時終了。(懇親会はコロナでなし)
午後、1時間かけて某市で行われるアマチュアの演劇公演に行く。
観客の自分が取り残されたままで・・・お芝居は進行する・・・
(よい勉強にはなった)
1時間かけて帰宅。
着替えて体育館へ行き、バスケ。
小学生たちのゲームと、中学生たちと若いお兄さんたちとお姉さんとおじさんたちによるゲームが交互に行われる。
1ゲーム目は3本ほどすいすいと入ったのだけど(同じぐらい外してはいる)、2ゲーム目は散々だった。
2月2日(火)
9時発、10時着。
大田市の郊外にある、県立農林大学校での特別集中講義(農業基礎知識講座)、第1日目。
これを知ったのは農協の栽培説明会かなにかでもらったチラシだったと思う。
メールの送信履歴を見ると申し込んだのが6月27日なので、あれから半年以上が過ぎている。
1日に90分が3回の講義。受講者は30数人。自分より若い人ばかり。(60にもなりゃあ当然)
今日のテーマは「土壌」。
5時発、6時着。
2月3日(水)
9時発、10時着。
特別集中講義、2日目。
今日のテーマは「肥料」。
昼食は市民会館の中にある「トラヤ」という料理店で、チキンカレー。
5時発、6時着。
2月4日(木)
9時発、10時着。
特別集中講義、3日目。
今日のテーマは「農薬」。
昼食は「トラヤ」で、日替わりランチと食後のコーヒー。
昨日のテーブルとは違って、今日はカウンターに座り、マスターと少しだけ会話。
「トラヤ」で食事するのは、昨日が2回目で今日は3回目。
初回は去年の春頃のことで、そのときにマスターが音楽をする人だと知り、今回の講義の期間中はこのお店に通おうと思っていた。(1日目の火曜日は定休日だった)
4時30分発(少々早退)、5時30着。
6時からクラブ。
2月5日(金)
3日間の研修で疲れたのか、何もする気がしない。
それにしても、よい研修だった。
光合成のしくみ、肥料のイオン化とその吸収・・・
農業を始めて5年。これまで得てきた表面的で断片的な知識が、この講義によって自分の中でつながり深まって行くであろうことを想像して何度もわくわくした。
午前、残り5分の1ぐらいになっている桐野夏生の小説「OUT」を読む。
昼食後に30分ほど午睡。
午睡の後は「OUT」の続きを読み始めて、4時頃に読み終える。
この冬、桐野夏生、2冊目。(全部で14冊目)
これもまた、読み応えのある小説だった。
1月28日(木)
午後6時、それまでは穏やかな天気だったのに、体育館に入った直後から強い風が吹き始めた。
ひとつだけ解錠している入り口のガラスの扉が、何度も内側に開いては元に戻る。
その度に夕闇の向こう側から現れる姿を想像するのだけど、それはない。
30分ほど一人で練習して帰宅する。
1月29日(金)
うっすらと降り積もったばかりの雪の中を犬と歩いていたら、道沿いの家の玄関から学生服を着たFくんが出てきた。
「やあ、ひさしぶり。進路決まったの?」
「今度○○大学を受けます」
6年ぶりに見たFくんは身長も伸びて、あの頃の面影もすぐには見つけられない。
「学校決まって余裕があったら、誘い合って木曜のクラブに来たらいいよ。まだやってるんだよ」
「そうなんですか」
Fくんは小学校を卒業するまで、たくさんの同級生たちとクラブに来ていた。
「最近は高校生ばっかりでね。WくんやTくんなんかも来てるよ」
「そうですか。みんなに話してみます」
会話を終えて犬の散歩を再開すると、補習授業になって通常より遅い登校になっているのではないかと思うのだけど、学校の方向に走っているFくんの姿が遠くに見えた。
1月31日(日)
夕方、体育館へ行く。
高校3年のHさんが来ていたので、話しかける。
「進路決まった?」
「決まりましたよ。○○の○○学校です」
「そうか、○○○になるんか」
Hさんは体育館と家とが近いこともあって、小学校を卒業してからも時々思い出したように木曜日のクラブやこの週末のバスケに来ている。
バスケットボールのゲームの合間に、Hさんに話す。
「こないだ(この間)Fくんを見たから、木曜のクラブに誘い合って来んさい(来てね、ぐらいの意) って話したよ」
・・・Fくんも、Hさんも、そしてほかのみんなも、来られなくてもそれはそれでよい。
ただ、年月を経て、そんな話ができることがうれしかった。
(来るかなあ)