bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

成果と老化(その3)

 

地元でのバスケ大会をこれまで一人で切り盛りして来たヒノハラくんが、何を思ったのか今年は地元4チームによる対戦を春秋通して6日間も行うと言う。

 

5月22日、その第1日目の初戦で5本のシュートが決まる。

 

相手は隣町の20代から40代前半までのチーム。

 

その日に集まった者で行っている毎週末のバスケでは数年前から複数のシュートが時々入るようになっていたが、大会であれほど決まったのはバスケを始めたこの10数年間で初めてのことだった。

 

そして第6日目の10月30日、最後の相手も同じ隣町のチーム。

 

相手チームのこの日のメンバーは40代前後が5人と20代が5人という具合で、最終戦ではその40代前後と20代とが8分間のクオーターごとに総入れ替えで交代を繰り返す。

 

最初は40代前後の5人との対戦に数分間出場して、シュートが1本決まる。

 

2度目の出場では20代の5人との対戦。

 

このときの相手チームはオールコートマンツーマンディフェンス。

 

コート全面に渡って相手に徹底的につく守りの戦術に、技量の劣る自分は為す術もなし。

 

・・・

 

右肘から手に掛けての痛みは半年間続いた。

 

痛み始めたのは地元バスケ大会の第1日目があった5月頃のこと。

 

初めは自動車のハンドルを左に回すなどの動きをするときに起こる右肘の軽い痛みで、バスケのシュートは大丈夫だったのに、それから1ヶ月が過ぎた頃からその不調は右手にまで広がりシュートにも影響するようになった。

 

普段から腕などをよく使う仕事をしてはいるが、痛める原因に思い当たることはなく、今以上に体を酷使していた数年前でもこのようなことはなかった。

 

考えられるのは加齢ということ。

 

今年で61歳。

 

・・・

 

前回の大会までは腕の不調を抱えながらなんとか試合に参加していたが(それでも自分の過去に比べれば上出来の結果だった)、数週間前から好転の兆しを感じ始め、この日までにはわずかな違和感を残す程度に復調する。

 

最終クオーターも残り3分というところで、この試合数度目の出場。

 

このときの相手は40代前後の選手たち。

 

ボールを受ける。

 

シュートする。

 

ボールがリングに吸い込まれる。

 

守りに入りながら自軍のベンチを見る。(いつもは、そんなことはしない)

 

監督のヒノハラくんとそれに続いて座るチームメイトたちの拍手をしている姿が見える。

 

試合終了。

 

・・・

 

全試合終了後、各賞の表彰式でMIPのトロフィーをもらい、私の成果と老化の全日程も終わる。

 

 

 

 

「MVP」: Most Valuable Player(もっとも価値のある選手、最優秀選手)
「MIP」: Most Impressive Player(もっとも印象的な選手)
 
 
 

クラブ

 

11月10日(木)

 

いつもより30分早く開けて欲しいと、先週のクラブの終わりにYくんが言った。

 

午後5時30分、体育館へ。

 

「誘われたんで来ました」

 

最初は地元で働いているSくん。

 

次に高3の2人。クラブはおそらく初めてで、人数合わせのために誰かが誘ったのだろう。

 

それから大学4年のHくん。大学へはここから車で2時間は掛かる。たまたま帰省していたのかもしれない。

 

その次はS’くんとS’’くん。

 

「友人連れてきました」とS’くんが言う。

 

初めて見るS’’くんはスーツにネクタイの服装。

 

大学のある街からは高速道路で県境を越えておよそ1時間。

 

会社の内定式を終え、大学の同級生であるS’くんと合流したとS’’くんは言う。

 

「年末でクラブやめるんですか?」と聞くのはS’くん。

 

その頃だったと思うのだけど、高3のOくんが学生服姿で現れる。

 

「様子見に来たよ・・・受験生だからね。じゃあね」

 

小1から中学生になるまで毎回欠かさずクラブに来ていたOくん。

 

8月頃、コンビニでOくんに出会って9月末でクラブを終えようとしていることを話した。

 

それから1ヶ月後、残り2回というときにOくんたち高校生がやって来たので、さらに3ヶ月、年末まで続けることにした。

 

次は、先週に「いつもより30分早く・・・」と言ったYくん。

 

Yくんの家も車で1時間。高校卒業後は自分の地元で働いている。

 

「(僕のこと)覚えてます? たまたま(実家に)帰ってたんで」と来るなり言うのはYくんと同じ町に実家があるIくん。大学はHくんと同じで、彼の実家からも2時間は掛かる。

 

当時クラブでバレーボールをしていた者たちの中で、ほとんどいつもただ一人の下級生だったIくんは、卒業後も上級生に誘われてやって来る。

 

さらに遅れて、それぞれ地元で働いているH’くんとTくんとS’’’くんがやって来る。

 

H’くんは、Yくんに誘われて先週のクラブにも来ている。

 

S’’’くんは同じ職場で働いている1年先輩のTくんから話を聞いて一緒にやって来たのだろう。

 

「ただ一人の下級生」のIくんと同級生のS’’’くんは、高校時代はまれにクラブに来る程度だったが、今回のメンバーの中では一番の古参でクラブ開始の頃に小1だった。

 

Tくんは「年末でクラブやめるんですか?」と聞く。

 

以上、高校卒業4年目が7人、3年目が2人、現役3年生が3人。

 

・・・

 

2015年4月

多くの人数で参加していた子供たちが中学生になり小学生が激減する。(中学生も次第に減って、やがてはどちらもゼロとなる)(30年務めた役場を早期退職)

 

2016年4月

高校生になった者たちが続けて来る(以下、1期生とする)。高校生が複数で参加するのはクラブ初。町外からの寮生たちも加わる。

 

2017年4月

この年に入学した学年も卒業までまとまった人数で参加を続けた。(2期生)

 

2018年4月

この年に入学した学年からは参加の勢いが少し衰えた様子だった。(3期生)

 

2019年4月

1期生、高校を卒業して大学等へ進学あるいは就職。

 

2020年4月

2期生、高校を卒業して大学等へ進学あるいは就職。

 

4月2日

卒業2年目の1期生たちがクラブに来る。地元5人、車で1時間は掛かるところから2人(S’とY)。

 

4月16日~5月21日

コロナで使用できず。

 

8月6日~9月10日

設備工事で使用できず。

 

9月24日

1期生たちがクラブに来る。地元6人、町外からは前回と同じ2人(S’とY)。

 

12月24日

この日のクラブまでは3期生以下現役高校生たちがずっと来ていた。

 

2021年1~2月

年が明けると誰も来なくなる。

 

3月5日

1期生たちがクラブに来る。2ヶ月ぶりの参加者。地元7人、町外は前回・前々回の2人(S’とY)にさらに2人プラス。(うち1人は「ただ一人の下級生」のIくん)

 

3~6月

誰も来ない日が続く。

 

6~12月

時々、高校生たちが来る

 

2022年1月14~31日

コロナで体育館使用できず。

 

2~9月

誰も来ない日が続く。

(3月の2回だけ、上述のOくんや帰省中の大学1年など、小学生時代の常連たちが来る)

 

9月22日

Oくんたち高校生が来る。

 

9月22日 

高校生が来る。

 

10月

誰も来ない。

 

11月3日

1期生のYくんとH’くんが来る。

 

11月10日

今回のクラブ。

 

・・・

 

地元で働いているH’くんとは、この春から秋に掛けて数回に渡って行われたバスケの大会で顔を合わせていて、9月末にクラブを終えようとしていたら残り2回となって高校生たちが続けて来たので少なくとも年末までは続けることにした、その辺りの経緯をその都度話していた。

 

それを最近になってH’くんが同級生に知らせ(クラブB&Jのライングループもあるらしい)、まずはYくんがやって来て、その次の週にみんなが集まったという次第。

 

彼らは昔と同じように、チーム替えをしながら何度もバレーボールの試合を繰り返す。

 

体育館を開けたのが5時30分。試合の始まりが6時30分頃。そして終わったのは8時30分前。

 

私も開始からの3時間、隣のコートで1人バスケの練習を続けた。

 

・・・

 

コロナの感染拡大が始まった2020年4月頃から続いていた利用者名簿の提出が不要となる。

 

あれから2年と半年。しかし今、第8波に入ったのではと言われている。

 

 

 

成果と老化(その2)

 

10月30日(日)

 

バスケットボール秋のリーグ戦、最終3日目。

 

55歳のヒノハラくん(チーム監督で大会主催者でもある)、61歳の私、55歳のKくん、50歳のNくん、30歳のHくん、Mくん、Kくん、25歳のKさん、23歳のKくん、と今回も異種混合の我がチーム。

 

ちなみに、ヒノハラくんと30歳のHくん、55歳のKくんと23歳のKくん、さらには50歳のNくんと地元若者チームに助っ人として参加している高校生のNくんのそれぞれは親子だし、30歳のHくんとMくんは私の子と同級生だったりする。

 

最初は2チームある地元若者チームの一方との対戦。

 

スタートで出場してまず1本シュートを決める。

 

立ち上がりはメンバーの調子が上がらず、第1クオーターが終わるまでの8分間、自軍の得点は私の2点だけという過去に例を見ない状況で経過。

 

4分ごとに総入れ替えに近い形で選手交代が行われ、第2・第3クオーターもそれぞれ出場したはずだけど、その間自分の得点はなし。

 

いつもの様にまた1本だけで終わるのかと思っていたら、最終クオーターで2本続けて入って、この試合3本6点。

 

・・・

 

数日前にヒノハラくんからラインで、秋のリーグ戦ではMVP、最多得点王、最多3ポイント王に加えてMIPの表彰を予定しているとの連絡があった。

 

「MVP」: Most Valuable Player(もっとも価値のある選手、最優秀選手)
「MIP」: Most Impressive Player(もっとも印象的な選手)

 

MIPについては主催者が各チーム1名を推薦して、参加者の投票により決定するという。

 

添付された推薦名簿の自チームの欄には私の名前・・・

 

 

春のリーグ戦が3日。

 

秋のリーグ戦も3日。

 

1日2回の対戦だったので全部で12試合。1年間でこれほど多くの試合に参加したことはこれまでなかった。(8月のシニア大会を加えれば全14試合)

 

最後の対戦は春のリーグ初戦の相手でもあった隣町、川本町のチーム。

 

春秋のリーグ戦を通して4回目の対戦になるのだろうか。

 

試合開始。

 

・・・成果と老化(その3に続く)

 

 

 

まだ物語は終わらない

 

10月 6日(木) 参加者なし

 

10月13日(木) 参加者なし

 

10月20日(木) 参加者なし

 

10月27日(木) 参加者なし

 

 

11月3日(木)

 

夕方、携帯電話の着信に気が付く。着信履歴の時刻は午後2時36分。

 

「もしもし、久しぶり。どうしたん」

 

「クラブに来られますか。今、体育館に来てるんです」

 

2年前からほとんど途絶えていた参加者がこの春からは皆無となり、このまま誰も来なければ9月をもって15年の幕を閉じようと思っていたら、残り2回になって高校生たちが続けて来たので、さらに3ヶ月、年末までクラブを続けることにしたのだけど、月が変わるとまた誰も来ない日々が続いていた。

 

その辺りの事情については、地元のバスケ大会で会うたびに当時高校生だったHくんに話してもいた。

 

体育館に着くと、昔のように玄関へと続く階段に座って私の到着を待っているYくんの姿。(昔と違って今日は1人)

 

「ごめんごめん、外仕事だったから気がつかなくて。でも、来なかったらどうするつもりだったの」

 

「まあ、そのときはそれでもいいかと。年内でクラブやめるってHから聞いたんで来ました」

 

体育館でYくんと2人別々に、時折会話しながらバスケのシュートなど。

 

やがて仕事を終えたHくんが現れる。

 

今から7年前、それまで中学校を卒業すると誰も来なくなっていたこのクラブB&Jに高校生になっても変わらずに参加したのがHくんたちの学年で、そこに県内外からの寮生たちが加わるようになり、やがては地元よりも寮生たちの方が多くなったのだが、その寮生の1人がYくんだった。

 

「近くに住んでたらB&J継いだんですけどね」

 

ここから車で1時間のところに暮らすYくんが言う。

 

「高校の時のB&Jのライングループがあって、年末までにここに集まろうって相談してるんです。何人来るかわからないけど、集まれるのももう最後ですからね」

 

大学に進学した同級生たちも来年春には卒業で、皆が社会人となればこれまでの様にはいかないということなのだろう。

 

午後7時30分、Yくんからの贈り物を受け取って、それぞれ帰宅の途についた。

 

 



成果と老化(その1)

 

9月18日(日)

 

バスケットボール秋のリーグ戦、第1日目。

 

これから10月末まで、5月、6月、7月と3回に渡って開催された春のリーグ戦と同様に、地元3チームと隣町1チームとの対戦が繰り広げられる。

 

それにしても残暑が厳しい。

 

(この日は2試合やって、決まったシュートは1本だけ)

 

 

10月9日(日)

 

3連休の中日。秋のリーグ戦、第2日目。

 

前回とは打って変わって寒い一日。

 

1試合目、隣町のチームとの対戦。全32分(クオーター8分×4)の4分の1ぐらい出場して得点はなし。

 

2試合目、地元の若いチーム同士の対戦に、片方のチームが2人(兄弟)しか都合がつかず、自分たちのチームメンバー5人が助っ人として予定外の参加。

 

出ずっぱりの兄弟に3人一組でクオーターごとに加わったので、自分も途中交代なしの8分を2回やることになる。(ここで1本ずつの2本決める)

 

3試合目は、隣町のチームと、選手が揃っている方の地元のチームとの対戦で、我がチームは審判とテーブルオフィシャルを担当。

 

4試合目は、選手が揃わなかった兄弟チームに残りの2チームからそれぞれ数人が加わった合同チームとの対戦だったのだが・・・

 

・・・試合開始から間なしに1本決めたすぐ後に、左膝上あたりの筋肉がぴくぴく引き攣り始めてベンチへ下がる・・・

 

・・・

 

 

 

 

「居る」ことによる存在の肯定

 

9月29日(木)

 

朝、こんな文章を読む。

 

『 居場所は自由に「居る」ことができ、「何かをしても何もしなくてもよい」といった特徴を持つことと、そこには日常とは異なる時間の流れやリズムがある 』(*)

 

夕方から、クラブB&J。 

 

2年近く前から参加者がほとんどなくなり、この春からはそれも皆無となったので、この日をもってクラブを終えるつもりだった。

 

ところが、残りもあと2回となった先週のクラブに9人の参加があって、終了を先延ばしにしたのは、前回のブログに書いたとおり。

 

今日のクラブは、参加者8名。

 

そのうちの1人は、前回の大学生とは別の大学1年生。彼もまた高校時代には何度かクラブに来てバドミントンをしていたことがある。

 

6人がバスケで、2人がバドミントン。

 

参加者たちは事情があって、それぞれ早めに帰宅した。

 

 

10月6日(木)

 

夕方からクラブB&J、だけど、参加者なし。

 

帰宅してから見た高校のウェブサイトによると前日に校内球技大会があったようで、高3のA.Oくんが前々回のクラブで「こんど球技大会があるから(練習のために)来たんじゃないの」と言ったとおり、この2週は練習のためであって、それが終わればクラブはもう用無しなのかもしれない・・・

 

『「居る」ことによる存在の肯定は、居場所が物理的にあり続けること、そこでの人間関係が継続することによって支えられています 』(*)

 

・・・誰も来ないかもしれないクラブをさらに3ヶ月後の12月末まではやろうと思っている。

 

 

(*) 8/29 朝日新聞: 明日へのLesson特別編 著者がとく 村上靖彦「交わらないリズム」×名古屋大学入試 )

 

 

 

カウントダウンの中断

 

9月23日(木)

 

体育館の前でバドミントンをしている数人の姿が見える。

 

部活でもあったのだろうか。

 

車から降りて「終わったの?」と聞くと「今からです」との答え。

 

「B&J? 僕のクラブ? なんで来ることになったん?」と聞くと、答えに戸惑っている子等の中から「前に来たことあります」との声。

 

そして別の方向からは「おっちゃん」と呼びかける声も。

 

高2:3人(うち女1)、高3:3人、大学1:2人、学年不明:1人、計9人

 

・・・

 

参加者が途絶えて1年9ヶ月が過ぎた。

 

途絶えたと言っても、誰も来なくなって2ヶ月ほど経った去年の3月5日には2年前に高校を卒業した11名(うち1人は1年前の卒業生)が県内外から突然やって来た日があったし(それからまた誰も来ない日々が続く)、その年の夏期休暇と今年の春期休暇の時期には大学生になったばかりの数人の顔を何度かこのクラブで見ることもあった。

 

現役の高校生も去年の6月から12月の間には時々来てもいる。

 

だけど、それもこの春までのこと。それからはまったく誰も来ない。

 

体育館の利用申請書は3ヶ月ごとにまとめて提出している。

 

4月から6月、7月から9月、10月から12月、1月から3月という具合に。

 

さすがに誰も来ないクラブをいつまでも続ける訳にはいかないだろうと、7月からの申請書を出すときに9月をもってクラブを終えることに決め、それを体育館を管理する公民館の職員に伝えもした。

 

終わりを3ヶ月先にしたのは、夏期休暇で帰省した大学生などがこれまでのようにクラブに来るかもしれず、そのときには小学生時代からの付き合いである彼らに終了のことを伝えたいと思ったのも理由のひとつだったけど、結局この夏は誰も来なかった。(この時期は町内でも新型コロナ感染者がずいぶんと多かったし・・・)

 

ただ、期間を設けたことにより折に触れて何人かに話すことができた。

 

たとえば、街のいろいろな場所で出会った、かっての小学生の親御さんたち。(そのうちの何人かは、クラブ開始当初には親子で参加していたこともあった)

 

「参加者がなくなったんで9月末で終えようと思います。おかげで15年間続けることができました。その間にのべ7000人の参加がありました」

 

そして、先日(9月18日)のバスケの大会では、今では社会人になっているクラブ経験者の数名にも話すことができた。

 

「参加者がなくなったんで・・・」

 

・・・

 

「こんど球技大会があるから、(練習のために)来たんじゃないの」

 

小学2年の頃から中学生になるまで欠かさずクラブに来ていた今は高3のA.Oくんと、別々にバスケのシュートをしながら話をする。

 

その隣では8人が2つのネットを挟んでバドミントンのダブルスをしている。

 

そこに、高3のA.Oくんと同じく小学生時代を通しての常連で、今は高2でバドミントン部のA.Oくんがいることに気づく。(2人は近所同士で、ついでにイニシャルも同じ)

 

高3のA.Oくんが言うには、バドミントンも球技大会の種目の一つであって、ダブルスをしている8人のうち6人がバドミントン部で2人がバスケ部とのこと。(引退後の元部員を含む)

 

そして、クラブの終わりにようやく気がついたのだけど、高校生ばかりだと思っていた8人のなかには2人の大学1年生がいて、そのうちの1人はまだ高校生たちがいつも来ていた2年前までの2年間、時折来てはバドミントンをしていた子であった。

 

・・・

 

今年の9月は木曜から始まっているので、クラブは5回できる。

 

いよいよ終わりになると思うと安堵するところもあった。

 

女房は、終わったらお祝いのご馳走をしようと言ってくれてもいた。

 

「鍵借りに来ました・・・あと5回」

 

公民館で体育館の鍵を受け取る度にカウントダウンも始めていた。

 

この日言ったのは「あと2回」。

 

・・・

 

「受験生だからね。コンビニでおっちゃんに会わなかったら、B&Jのことなんか頭から抜けてたよ」

 

2週間前だったか、いつものように誰も来ない体育館で30分ほどバスケの練習をした後に立ち寄ったコンビニで高3のA.Oくんを見て、クラブを終えることを話した。(普段、街で出会うことなんてまずない)

 

高3のA.Oくんが高2のA.Oくんにそのことを話したのかもしれない。そして高2のA.Oくんがかってのバドミントン部の先輩である夏期休暇中の大学生に連絡をしたのかもしれない。(今はみなラインでつながっているから)

 

なぜ、クラブに来ることになったのかは分からない。(この日たまたま部活動がなかったことは大きい)

 

 

9月27日(月)

 

10月から12月までの申請書を公民館に提出する。