bunbunの記

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バスケットボール

 

7月23日(日) [2023おじさん no バスケットボール大会]

 

 

集まり始めた人たちを見て、感慨深いものがあった。

 

自分たちの地元チーム、隣町のチーム、近隣2市から各1チーム、そして隣県広島市から2チームの計7チーム。

 

前回のこの大会が2019年10月6日。

 

2014年5月の第1回大会からの6年間、毎年2回程度行われていたものが、コロナ禍により3年半もの中断を余儀なくされた。

 

どこも昔からの馴染みのチームだけど、自分より年長者だった数人の顔がなく、50歳以上がつける赤いリストバンドが以前よりずいぶんと目につく。(60歳以上の白のリストバンドは自分を含め4人)

 

自軍は1戦目で敗退。自分の決めたシュートは1本だけ(だったはず)。

 

 

8月10日(木)[クラブB&J]

 

 

半年ぶりに参加者あり。(大学1年:3人、高2:1人)

 

小1からのおよそ5年間、毎週欠かさずクラブに来ていたOくん。

 

うちの近所のSくん。

 

小学生のころから時々来ていた、Tくん兄弟。

 

半年前の参加も、ほぼ同じメンバーだった。

 

お盆前だし、大学1年の3人が翌々日の大会に参加することを知っていたので、その練習がてらに来るかもしれないと思ってはいた。

 

彼らの様子を眺めながら1時間30分、一人で練習。

 

参加者は自分の気力の源であると再認識する。

 

 

 

8月12日(土)[day and court 3x3 NIGHT GAME]

 

 

我が家から長いトンネルを抜けてすぐのところに、屋外のバスケットコート(半面)が設置されたのが2年前。

 

地元の若い人たちの要望が町の事業として採用されて誕生したそのコートで、その若い人たちが3対3の大会を年に数回開催していて、今年6月17日の第1回のシニア大会には選手としてこのコートに立ちもした。

 

午後3時過ぎ、女房の運転する車で駐車場着。

 

会場から第1試合終了のアナウンスが聞こえる。

 

第2試合には間に合った。

 

一方のベンチに若者たちがいる。

 

それはもう小学校低学年の姿ではない。

 

ネットに公開された参加チームのメンバー表を見たのが先日水曜の夜。

 

3人制の試合なので、どのチームも4人か5人の編成で、その全8チームのうちの一つを見て驚いた。

 

T.H(21歳)、T.O(20歳)、Y.A(20歳)、A.O(18歳)(・・・実際はフルネーム)

 

その4人はともに小学校低学年のころからのクラブB&Jの参加者。

 

特に、同級生のT.HくんとT.Oくん、そしてT.Oくんの弟で、一昨日のクラブにも来たA.Oくんの3人とは小学校を卒業するまでの5年ほどの間、毎週のように体育館で顔を合わせていた。

 

ちなみに、T.Hくんは小2のときに父親の仕事の関係でこちらに転校し、小学校卒業と同時に県内とはいえ100kmも離れた土地へ引っ越したのだけど、何の縁なのか、かって同級生だったT.HくんとT.Oくんは隣県の同じ大学に入学することになり、その2年後の今年春には弟のA.Oくんまでもが同じ大学に入学して、3人ともに同じバスケ部に在籍している(はず)。

 

小学生も低学年の頃からの付き合いは、思春期以降のそれとは違うものがあって、大人になった彼らは今でも私のことを「おっちゃん」と呼んだりもする。

 

今回の大会は、初めての夕方から夜に掛けての開催でバザーもあり、新型コロナウィルスがインフルエンザ並みの分類になったことを受けてアルコールも用意された。

 

バザーの一角では、Hくんがお酒を売っている。

 

毎週末にはバスケの試合ができる場を設け、年に何回も大会を開催し、チームを編成しては内外の大会へと率いてくれるそのHくんのお陰で高齢・未熟な自分のようなものがバスケを続けることができている。

 

そして、そのHくんに続くようにして、若い世代がこの日のような大会を開催する。

 

Hくんからお酒を買う。

 

先の4人以外にも、知っている選手がいる。

 

先日のクラブに来た、SくんとTくん。

 

中学や高校生のころにクラブに来ていた、Hくん、Uくん、Wくん、Sくん。

 

大人になった彼らの(本格的な)プレイを見ながら飲むお酒は、また格別なものであった。

 

(小学校高学年のころ来ていたUくんの名もあったのだけど、成長した姿に気がつかなかった)

 

 

・・・

 

 

夜、7時30分、女房の迎え。

 

今も週2日ほど放課後学童保育で働いている女房は、この日の選手のうちの何人かの子供時代をその仕事で知っている。

 

普段、見る機会があるかもしれない地元出身者とは違って、まずはその機会がないであろう小学校卒業時に引っ越したT.Hくんに会わせようと思ったが姿が見えない。

 

「低学年の時だけだし、覚えてないだろうから会えなくてもいいよ」と女房はいう。

 

A.Oくんがいたので、帰るからみんなによろしく伝えて欲しいと告げて、会場から道路へと出ると、T.HくんとA.Oくんの兄のT.Oくんが追いかけてくる。

 

女房が言う。

 

「覚えてる? 学童保育の・・・」

 

T.Hくんが答える。

 

「覚えてますよ。○○さん、ですよね」

 

学童保育で女房は子供たちから名前で呼ばれているので、T.Hくんはその名を覚えていてくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

バスケ

 

6月4日(日)

 

春のリーグ戦、3日目。

 

第1試合、2本

第2試合、0本

 

今日もまたシュートが決まらない。ただ、試合開始からしばらく無得点だった第1試合の、自軍の初得点が自分ではあった。

 

 

6月10日(土)

 

監督のヒノハラくんからライン。

 

『 🏀3❌3参加予定の方は、日和で自主練お願いします。🏀は、体育館入り口にあります。』

 

それを見てその気になり、午後3時頃、車で15分のところにあるコートへ行くと、若者たち数人が使っていたのでいったん帰宅。

 

午後5時頃、その時には父親とその子供たち。中学生の女の子がシュート練習を繰り返していたので、コートの端でハンドリングやドリブルの練習をする。

 

 

6月11日(日)

 

監督のヒノハラくんからライン。

 

『 今日は休みます 』

 

体育館での練習がないとなれば、あのコートへと・・・

 

今日は地元の中学生2人が帰り支度をしているところで、それから午後6時頃までの1時間このコートでの2回目の自主練。

 

 

6月15日(木)

 

体育館が使えずクラブB&Jができないので、3回目の自主練へ。この日は自分一人。

 

 

6月16日(金)

 

午後4時頃、白ネギの農薬散布をやろうとしたら、動力噴霧機のエンジンがかからず、農協に持って行くと修理に数日掛かるとのこと。

 

やることはあるし、大会前日なのでそのつもりもなかったのだけど、予定が空いたので4回目の自主練に行く。

 

途中、明日の主催者の一人でもあるTくん(母親は自分の同級生)が、子供を連れてやって来て少しだけバスケをする。

 

 

6月11日(土)

 

(以下は、自分が投稿したフェイスブックより)

 

近隣の若い人たちが企画運営した、バスケの3×3(オリンピックの公式種目にもなっている半分のコートでの3対3の試合)のシニア大会に参加しました。
 
町外・県外を含む7チーム、35歳以上(女性は制限なし)の大会です。
 
我がチームは、62歳、55歳(2人)、50歳の4人で、どのチームも50歳未満というなかで突出していましたが、3試合を最後まで戦い抜くことができました。
 
去年は2回、若い人たちの大会が同じ会場で行われていて、どちらも観戦したのですが、まさか自分たちがそこでやることになるとは思いもしませんでした。
 
普段のバスケ大会では見ない地元の人たちもいるし、ボランティアで大会のお手伝いをした地元高校女子バスケ部員たちが助っ人で試合に加わったり、大人と観戦に来ていた小学生(ほとんどがミニバスクラブのメンバー)との試合が急遽行われたりして、とても素晴らしい大会でした。
 
・・・
 
 ちなみに夜中に目が覚め、自他のプレイがいろいろと浮かんできては悔しかったので、ああ、もうしばらく自分はバスケを続けるのであろうと考えた次第です。

 

 

 

自分の得点・・・1試合目:1本、2試合目:1本、3試合目:1本(フリースロー

 

(写真は主催者投稿のフェイスブックから借用しました)

 

 

 

 

年寄りの冷や水でも

 

5月14日(日) 

 

バスケットボール、春のリーグ戦、第2日目。

 

去年から始まった春と秋のリーグ戦(各3日)には、得点王などの表彰が行われることもあって試合ごとの全選手の記録が貼り出されるのだが、先月24日のリーグ戦第1日目、第2試合の自軍トップが自分の14点という前代未聞の結果に気をよくして試合に臨んだ。(2位は50代のSくんと30代のMくんの12点。ちなみに全体のトップは2試合で50点)

 

今日の自軍のメンバーは、50代4人、30代3人、20代1人(大会唯一の女性)と自分。

 

この日1試合目の相手は地元のチーム。メンバーは20代から40歳ぐらい。

 

スピードのある相手チームのプレイにこちらのシュートチャンスも少なく、自分のシュートも決まったのは1本だけだったと思うのだが翻弄された印象ばかりが強く残って、その記憶は定かでない。

 

2試合目の相手はもう一つの地元チーム。メンバーは20代から35歳ぐらい。

 

5人ぎりぎりの参加メンバーが出ずっぱりということもあって1試合目の対戦相手ほどのスーピード感はなく、シュートもいくらか多めに打てたのだけど、1本だけしか決まらない。いくつかはリングの内側に当たるようでもどれも入らない。

 

それに反して、脚の故障で長らく試合に出ていなかった大会主催者であり自軍の監督でもあるヒノハラくんは、久しぶりに出場した4分ほどの間に3本のスリーポイントシュートを決める。

 

同じコートに立つ自分のすぐ目の前で、スパッ、スパッ、スパッ、とシュートのボールがすべてリングに吸い込まれて行く・・・

 

 

春のリーグ戦最終日は6月4日(日)。そして6月17日(土)には、隣の地区で初めて行われる3on3(3人対3人のバスケ)のシニア大会(35歳以上)に参加する予定。

 

3on3の大会にはバザーがあったり、普段のバスケ大会では見かけない人たちも多く試合に参加するようなので、初めて外部の衆目にさらされるということになるのかもしれない。

 

さて、さらすのは単なる恥か、それとも・・・

 

 

 

 

 

7本

 

4月23日(日) 

 

バスケットボール、春のリーグ戦、第1日目。

 

今日の自軍のメンバーは、50代4人、40代1人、30代2人、20代1人(大会唯一の女性)と自分。

 

初戦の相手は隣町のチーム。20代前半が4人と40歳前後が3人。

 

シュートは2本決まったものの、デフェンスが厳しくボールをもつ自分がバスケをさせてもらえない。

 

2試合目の相手は地元のチーム。メンバーは20代後半から30代半ばまでという具合。

 

最初に出場した数分で3本決めていたのではないかと思う。

 

ベンチに下がって、今日はこのぐらいかなとぼーっと考えていた。

 

それから、もう1度だったか、それとも2度だったのか、コートに立って、結局この試合で決まったのはおそらく7本。

 

打てば入るという状態だったのか、本数以外はその時々のことをほとんど覚えていない。

 

 

        (大会主催者兼自軍監督のヒノハラくんが投稿した画像を拝借)

 

53点が自軍の最終得点であれば、自分が決めたのはそのうちの14点(2点×7)。

 

これからは決まったシュートの本数よりも、どんな相手に対してもバスケができることを目指そうと、62歳と約20日のこの日に思う。

 

 

 

 

 

クラブでのこれから

 

1月19日(木) 高3:2人  

 

 うちの近所で初参加のSくんと、5年ぶりにやって来たKくん。

  (この日のことは前回のブログに書いた)

 

1月26日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

2月 2日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

2月 9日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

2月16日(木) 高3:3人

 

 1/19のSくんと、小1から小6まで欠かさず来ていたOくんと、小中学生の頃時々来ていたTくん。Oくんは進学先の大学が今日決まったと言う。

 

2月23日(木) 高3:4人  

 

 Sくん、Kくん、Oくん、Tくんの4人がそろう。

 

3月 2日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

3月 9日(木) 体育館使用できず

 

3月16日(木) 体育館使用できず

 

3月23日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

3月26日(木) バスケ大会

 

3月30日(木) 30分1人で練習して帰宅

 

・・・

 

小1のころから成長を見てきたOくんを始めとするクラブ最後の子供たちを送り出したような感じがしている。

 

3月26日には地元の体育館で行われたバスケの試合に参加した。冬を挟んでの5ヶ月ぶりの大会だった。

 

参加はいつもの4チーム。貼り出された選手名簿を見れば、3チームは歳が多くても40歳ぐらい。自分たちのチームには50代半ばが数人いるが、61歳の自分は1人だけ突出している。

 

トーナメント敗退で1試合だけやって、決まった自分のシュートは3本。去年とは違って3本ぐらいでは誰も驚かない。

 

3月30日には公民館に体育館の鍵を借りに行って、主事と相談。

 

4月からも続けて体育館を借りるのだけど、基本的には30分間の個人練習として、もし誰か来ればクラブの場とする、ということで了解を得る。

 

それはこれまでと何ら変わるものではなが、自分の気持ちとしては楽になる。

 

(もちろん、ほかに利用希望があれば即座に譲る)

 

話はバスケ大会の日に戻る。

 

試合と試合の合間だったと思うのだが、お手洗いへ行こうと体育館のフロアーを横切ったときに気がついた。

 

そのときにバスケットコートの半面で3人の若者がそれぞれにシュートの練習をしていた。

 

1人は高校を卒業して地元の会社に就職して4年になる。彼は主に高校生のときにクラブに来ていた。

 

1人はこの春、大学を卒業して県外で就職するという。彼も主に高校生のときのクラブ参加者だった。

 

1人は、前述の2人とは1~2学年下で、彼は中学生の一時期、続けてクラブに来ていた。

 

一瞬クラブの日々が蘇る。

 

 

 

 

 

 

2本の支柱

 

1月19日(木)  

 

去年の11月10日以来、2ヶ月ぶりの参加者は高3の2人。

 

1人はうちのすぐ近所のSくん。

 

年の離れたSくんの兄は、このクラブを始めた15年ほど前は中学2年で、彼はそのころにいつも来ていたけど、弟のSくんはこれがおそらく初めての参加。

 

「進学決まったんなら暇だろ。よかったら木曜のクラブに来ない?」

 

この間の日曜に誘ったら「あ、あれですね」という反応だったので、参加の機会はなくてもクラブのことは耳にしていたのだろう。

 

もう1人は最初わからなかった。

 

「えーっと」

 

「お久しぶりです」

 

「あ、Kくん?」

 

「名前覚えてもらってたんですね」

 

Kくんが来ていたのは、彼が小6の終わりのころから中1の夏休みのころまでの半年ほどだったので、あれから5年が過ぎている。

 

2人は、支柱を2本立てただけでネットは張らずにバレーボールを始める。

 

「誰かほかに来るの?」と、しばらくして訊けば「いいえ」との答え。

 

やがて2人は私のいる方のコートに移ってバスケットボールの1対1をやり、それから立っていた2本の支柱を片付けて、2人並んでモップ掛けを始める。

 

日曜にSくんをクラブに誘ったのもこの体育館だった。

 

木曜のクラブとは別に、日曜の夕方にはバスケの試合をする子供から大人までの自由参加の場がある。

 

その日は久しぶりに数人の高校生が来ていた。

 

「進学決まったんなら暇だろ。よかったら木曜のクラブに来ない?」

 

「バレーできます?」

 

「できるよ」

 

「クラブ行ってバレーしようよ」

 

通りがけにふと思いついてバスケの得点を付ける準備をしていたSくんに声を掛けると、早速となりにいた同級生(こちらはかってのクラブ参加者)などを誘っていたのだけど、クラブに現れたのはSくんと、日曜には体育館にいなかったKくんの2人だけ。

 

支柱を立てたのだから、ほかの何人かを待っていてスマホでやっぱり行けないという連絡を受けたという流れだったのかもしれない。

 

3年前にコロナ禍が始まってからだと思うのだけど、それまでまとまった人数で日曜のバスケに来ていた小学生から高校生までの子供たちが次第に来なくなり、木曜のこのクラブも同じころから参加者が減って、やがては誰も来なくなっている。

 

どちらも参加の勢いがないのは、コロナ禍の影響があるのかもしれない。 

 

5年前、Kくんがクラブに来ていたころは、それまで参加者の大勢を占めていた小学生の最後の学年が卒業した後で、残された小学生はわずかな人数になっていたけど、中学生の参加はまだ続いていたし、激減した小学生に替わるようにして高校生たちが参加し始めたときでもあった。

 

Sくんに誘われたKくんは当時の賑やかだったクラブのことを思い出しながら来たのかもしれないし、Sくんも伝聞ながら似たようなことを思ったかもしれない。

 

SくんやKくんの学年の子供たちも今春には巣立ってしまう。

 

かってのクラブ参加者の最後の学年が巣立っていく。

 

正確にはクラブ経験者はまだ数人残っているのだけど、それもあと2、3年のこと。

 

気がつけば近所でも子供の数がめっきりと減っている。

 

Sくんが小学生のころには、昔よりは少ないとはいえ、あの家、この家と、まだ近所に子供たちがいてその中の何人かはクラブに来てもいた。

 

クラブの最後の儀式のように、2本の支柱が立てられて、その支柱の間でこの土地最後の子供2人がバレーボールを行い、そして2本の支柱は倉庫へと収められる。

 

そんなこともブログを書きながら夢想する。